掲載日 平成27年11月15日 |
青梅市における弥生時代の遺跡の存在は、昭和年30代初頭では明確な遺物が無く、否定的でした。しかし、ある土器の発見により、青梅市の考古に関する歴史は大きく変わりました。その後、昭和40年代半ば頃から霞川沿いの地域は盛んに開発が進み、発掘調査もあちらこちらで行われ、弥生時代に限らず、古墳、奈良、平安時代に及ぶ生活の場の存在が数多く確認され、その実態が明らかになってきました。 写真の土器は青梅市今寺の天皇塚遺跡から出土した弥生式土器で、 全体の高さが39㎝、口縁部の直径21㎝、胴部の最大径は27.5㎝、台部分の高さ9㎝、その底径は12.5㎝で、重さ3千450gのずっしり重い立派なものです。 このような台は、時代が新しくなり、土器の作成技術も向上すると、精製された粘土を用いて薄く、硬く仕上げ、利用時には熱の伝導効率を一層良くするために付けたもので、弥生時代後期から古墳時代中頃までこの形が作られました。 昭和30年代では数少ない土器の中でも代表的なものであり、かつ完形となっており当時としては大変貴重なものであるということから昭和39年11月3日、市有形文化財に指定されました。 青梅市で弥生時代の遺跡が確認される地域はすべて霞川沿いに限られ、その後、古墳時代、奈良時代の遺跡もこの地域を中心に存在し、平安時代になると、多摩川沿いにも成木川沿いにも遺跡が点在するようになります。地形的にも水田耕作に最適な霞川沿いの湿地帯を見つけ、弥生時代という文化の中心地をここに築いた事がうかがえます。なお、この土器は個人所有のため一般には公開されていません。 問い合わせ 郷土博物館☎23・6859 | |
---|---|---|
市文化財保護指導員 鈴木 晴也 | ||