Rock & Wild Rare Pic.

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Rare Pic.

コージー・パウエル Cozy Powell
さて、ワイルドな男たちのトップを飾るのは、今は亡きコージー・パウエルです。彼こそは、70年代から80年代にかけて、ハードロック界で暴れまくった快男児ドラマーでした。

彼の名が知られるようになったのは、70年代初頭ころの「ジェフ・ベック・グループ」からで、そのころのコージーとジェフはレコード・ジャケットの写真でもなんだか似ていて、どっちの方がイイ男か?などとよく取り沙汰されたものでした。

コージーは決してハンサムというタイプではないけど、男らしくて精悍で、男の子のファンから見ると最高にカッコいいアニキだったようです。そりゃ女の子からしても、この手が大好きという人たちも大勢いたんだけど、どうも男の子のファンの勢いには気圧されたものです。彼のドラムは彼の性格をよく表わしていたようです。テクニックどうこうより、そのパワーには有無を言わせぬものがありました。彼はドラマーとして、多分ロック界初めてのアイドルスターでしたね。

70年代は、「ジェフ・ベック・グループ」のあと「ハマー」とか「ベドラム」などを経て、リッチー・ブラックモア率いる「レインボー」に加入。76年、78年、80年と3回レインボーで来日しましたが、この写真はレインボーを劇的に辞めたあと、翌年の1981年に今度は「マイケル・シェンカー・グループ」のメンバーとしてやって来たときのショットです。

隣りのオニイちゃんは当時コージー命だった少年です。この写真のコージーが1番カッコよかったので公開させていただきます。クヤシイけど女性が隣りにいるより断然いい表情なんです。この指差すポーズは、彼の大のお得意でした。
コージーは大阪で、この彼に約束してたからと、バーで飲んでいたのにわざわざ部屋まで戻って、自分の名前とサイン入りのドラムスティックをとって来て渡していました。コージー印のスティックって、普通のサイズより相当長くてブットくて、モノスゴごっついヤツ。コージーってホントいいヤツなんだなぁ、とそばで見てて感心しましたよ。

その後、「ホワイトスネイク」でも83年、84年とやって来て、スネイクの追っかけだった私は何度か彼とは会って、彼に日の丸印の扇子をあげたことがありました。その後、もし日の丸扇子であおいでる彼の写真を見たとしたら、それは私のプレゼントです。

80年代も後半になって「ブラック・サバス」のころには、かなり太ってしまい、あの精悍さが薄れてしまって残念でしたが、それにしても50歳でアッという間に逝っちゃうなんて、そりゃあないでしょう? それも車に乗ったままなんて・・・、彼らしいと言えば限りなく彼らしいけど、残された私たちファンは言葉もなかったわよ。彼がもういないなんて、今でも信じられない思いでいっぱいです。彼こそ、誰が何と言おうと、時代を駆け抜けた真のロックン・ローラーでした。


夏川 翠 2002.5


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