Rock & Wild Rare Pic.
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デヴィッドのあとにイアンにしたのは別に意味はありません。 彼こそ泣く子も黙るディープ・パープルの現ボーカリストでもあるイアン・ギランです。このショットは、1977年の6月、ちょうどブライアン・フェリー&フレンズが来日してたのと同じときで、イアンは自分のバンド「イアン・ギラン・バンド」のお披露目のためのプロモーション来日した際に撮りました。 73年にディープ・パープルを脱退し、そのボーカリストの座はデヴィッド・カヴァデールに譲っていましたが、イアンの動向はまだまだロック界の注目の的だったのです。 「イアン・ギラン・バンド」はかなりの話題と共に日本でも紹介され、同じ年の9月にバンドは来日を果たし、武道館でもコンサートをやりました。でもそのときのメンバーではあまり長続きせず、その後どんどんメンバーを変えていき、いつの間にか全然イメージの違うバンドになってしまうのです。 イアンがパープルでデビューしたての69年ころは、まるでギリシャ彫刻のような美青年で、ウットリしてしまうほど端整だったことを覚えている人なんて今でもいるのでしょうか? 72年のパープル初来日でも、長い髪をなびかせ颯爽とステージに現われたときは、そりゃあもうタメ息ものでした。背が高い上に、10cmものヒールのあるヘビ皮のロンドンブーツで決め、文句なしにステキだったのです。 この77年のころはまだまだ崩れてはいませんが、72年のころと比べるとちょっと太目。まあ、それでも充分カッコよかったのは間違いなく、このフォトセッションでは私もけっこうドキドキものでしたよ。 イアンというと、それまで72年、73年のパープル来日で日本でもお馴染みでしたが、とにかくクールでファンに対しても決してヘラヘラせず、どちらかと言うと気取った感じのロックスター、というイメージだったのです。でもこの77年ころからは、年に何度となく来日し、せっせと取材も受けて笑顔で営業していくようになりました。80年代に入ってからも数えると、彼は4〜5年の間に10回くらいも日本に来たのではないでしょうか? 私もなんだかいろんなとこでイアンとは遭遇したような思い出があります。 夏川 翠 2002.5 |
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