Rock & Wild Rare Pic.
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ルドルフは、未だ現役でスコーピオンズのリズムギターを担当してるギタリストで、もちろんあのマイケル・シェンカーの実のお兄さんです。彼はジャーマンメタルの元祖と言うべきスコーピオンズのオリジナル・メンバーで、バンドの初期のころは弟のマイケルも一緒に活動していました。マイケルのギターの才能を最初に認めたのも兄である彼だったのでしょう。 このショットは、スコーピオンズが初来日した1978年の4月、東京のホテルのラウンジで私が撮りました。この番傘はたしか自分で買ったとかでとても気に入ってたらしく、写真撮りますと言ったら、こうやって堂々と広げてのポーズとなりました(帰国のときも、車の中からこの傘を振っていたものです)。 私はこのころ雑誌の記者をやっていたので、スコーピオンズのことも取り上げようと、アポなしの突撃インタビューを決行したのです。メンバーもマネージャーも皆とても協力的で、最後に会えたこのルドルフは親切で明るく、もの凄い英語ながらも1番よく喋ってくれました。ルックスもなかなか男らしく魅力的な人で、背は高いし思いっきり足も長く、そのスタイルは完璧でした。 マイケルのことも聞いたのですが、いつも彼のことは心配してる、と優しい兄貴ぶりを見せ、私がホントはUFOも好きで、マイケルがそのころ起こしていた失踪だの何だののゴタゴタにはウンザリしてる・・・なんて間違っても言えない、とちょっと冷や汗ものでした。マイケルはホント最近になっても困ったヤツですが、アニキのルドルフは本当にいいヤツで、ちょっとブッ飛んではいましたが、とても健全な精神の持ち主だと痛感したものです。 その翌年79年の6月、また彼らは来日を果したのですが、この2度目来日のときは、UFOを脱退したマイケルが古巣に戻って日本にも来るのではないか、と一時は騒がれたものでした。しかしながら、それは実現しませんでした。 私は前年の来日のあと、ルドには取材した記事の載った雑誌をドイツに送ったのですが、その後私の雑誌が廃刊になり、そのことも手紙で知らせてました。それから半年くらいたっての来日で、やってきたその日にルドルフとコンタクトをとろうと、メッセージを残しておいた私の元に彼から電話がかかって来たのは、翌朝のなんと5時ころでした。どうやら夜遊びから帰ってきたところ、私のメッセージを見て、「これは大変、すぐ返事しなきゃ」とそのまま時間も考えず電話したらしい。 そういうところはいくらロックスターと言えども、やっぱりルドは生真面目なドイツ人なんだなぁ・・・とアキレながらも納得したものでした。その日の夕方再会したのですが、もうそのころは雑誌記者でもないただのファンの私が、ホテルにいる関係者にいろいろ言われたら気の毒だ、とわざわざホテルの前の道路に出てきてくれての立ち話となりました。そして会うなり開口一番に「雑誌つぶれちゃったんだって? 大変だねぇ・・・」 ああ、なんていいヤツなんだろう、とますますルドの心優しい人柄が好きになったのでした。 その6月の夕刻に会ったときも、その後数年たって真夏の8月に会ったときも、オフだというのに彼はレザーの上下に身をかため、これまたドイツ人の律儀さを見せつけてくれたのです。 夏川 翠 2002.5 |
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