Rock & Wild Rare Pic.
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ケン・ヘンズレーはユーライア・ヒープのキーボード・プレーヤーで、リーダーとしても創生期から80年代に入るまで、ずっとバンドをまとめていたのです。 彼がいたヒープが来日したのは、1973年の3月に1度だけでした。このショットは、その来日のとき名古屋か大阪のどちらかの彼らのホテルで撮っています。隣りにいるのは私です。 ユーライア・ヒープと同時期に「イエス」も来日していたのですが、菜食主義者が大半でちょっと変人揃いの彼らに比べると、ヒープたちはこれでも同じイギリス人?と思うくらい、あっけらかんとした根アカでわかりやすいメンバー揃いのバンドでした。 当時有名だったキレイどころのグルーピーのオネエサンたちも勢ぞろいでしたし、私と友人のファン一同も一緒になって、彼らとディスコに繰り出したこともありました。 でも、そのにぎやかで明るいメンバーの中で、ケンだけは少々趣きを異にしていました。最も知的であまり騒がしいことは好まず、一人で部屋で本を読んでいるようなとこがあり、近寄りがたい雰囲気でしたが、根は親切で優しい人物でした。彼のような一見恐そうなルックスは私のタイプだったのですね、おまけにキーボードでしたし・・・。 ケンはその来日時に東京だか名古屋で、当時はまだ珍しかったビデオカメラ一式を買い込み、その機材で自分たちの名古屋のライヴの様子を撮り、名古屋の自分の部屋で早速ビデオ上映会を開いたのです。私と友人はラッキーにもその場に招待され、一緒にライヴビデオを見せてもらいましたが、上映中のメンバーたちのあまりにも過熱したやりとりに少なからず驚かされました。 皆一歩も引かず、自分たちの演奏について激論を交わすのです。それは傍から見てればほとんどケンカのようでした。 あぁ、こうやって少しでも次回はより良い演奏をしようと議論しあい、時にはケンカにまで発展するのだな・・・と、いつもはお気楽そうなヒープが熱い情熱のたぎる真の姿を見せてくれたようで、けっこう感動してしまいました。 ただこのときの日本公演は全体的にあまり出来がいいとは言えず、不完全燃焼気味だったことも確かでした。でも初日の東京の武道館コンサートより、後半の大阪でのライヴの方がずっとよかったのは、欲目でも何でもなく本当でした。 夏川 翠 2002.5 |
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