Rock & Wild Rare Pic.

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ピーター・ロビンソン  Peter Robinson
現在、彼の名を聞いて知ってる!と言ってくれる人なんているのでしょうか? でも、元クォターマスのメンバーと言ったら、少しはわかってくれるかな?

ピーターのこのショットは、1973年の11月に、ヤマハの世界歌謡祭(とか言ったと思う)に出場して金賞をとったショーン・フィリップス、というシンガーソング・ライターと共に来日したときのものです(同じ金賞だったか、もっと上の賞で小阪明子の「あなた」という曲がありました)。
ピーターはアコースティック・ギターのショーンのバックでピアノを弾き、その華麗な姿に私はしっかりノックアウトされてしまいました。彼が元クォターマスのキーボード奏者だったのは、会う前から一応は知っていたのですが、まだ音は聴いたことはなかったのです。その後アルバムを聴いて少なからず驚いたものでした。
クォターマスはほぼエマーソン、レイク&パーマーと同時期に、イエそれよりも少し前に、たった3人でプログレッシヴ・ロックを極めていたバンドだったからです。

彼らはたった1枚しかアルバムを残しませんでしたが、強烈なジャケット・デザイン(映像集団ヒプノシスによる)の印象も相まって、当時のロックエリートたちには密かに愛好されていたのでした。遅ればせながらそれを聴いた私も、以来しばらくはそれを大の愛聴盤として聴き続けたものです。
ピーターはクォターマスの他のメンバー、ベースのジョン・ガスタフスン、ドラムのミック・アンダーウッドと袂を分かってから、一時期「Sun Treader」というバンドも組みますが、あまりメジャーにはなれず、ショーン・フィリップスと活動を共にしつつ、セッション・ミュージシャンとして数多くのバンドやアーチストとの仕事に専念していくのです。

私と友人は、実はこのヤマハの音楽祭にやはり出演した、元レオン・ラッセルのシェルター・ピープルの一員だったドン・プレストンに会うために彼らのホテルを訪れたのです。もちろんドンとも会えましたが、金賞をとったショーン・フィリップスとも顔なじみになり、そこのピアノマンだったピーターとも知り合ったという経緯があります。ショーンは仙人のような風貌の「自然人」で、とてもフレンドリーな人物でしたが、私も友人3人も全員、ピーターの物静かで優雅な物腰と麗しいルックスに魅了されてしまい、久々に本物の王子だ!と騒ぐハメになりました。

その翌年の74年にロンドンに行ったとき、友人と私は「ツトム・ヤマシタ」のコンサートで、なんとこのピーターが参加してるのに偶然出くわし、終ってから楽屋に訪ねると思っていた以上に歓迎され、自宅の電話まで教えてもらいました。
その後しばらくしてやっと連絡がとれ、彼はセッションの仕事の合間に、そのころの私と友人のフラットに急遽遊びに来てくれたのです。我が家では、おでんとラーメンで彼を歓迎し(そのころのロンドンでは、そういうのって滅多にない)、夜半過ぎまであこがれの王子を囲んでの歓談会を繰り広げたのでした。
彼はちょうどロサンジェルスから帰ったばかり。ロスでの仕事とは、日本の井上陽水のアルバム・レコーディングだったそうです。たしか「傘がない」とかあのへんの頃だったはず・・・。

そんな彼は、その後もスタンリー・クラークらと何度か来日、80年代中期はエリック・クラプトンの「Behind the sun」に参加、またフィル・コリンズのバンドのメンバーとしても来日しています。そのころは、髪も短くてかつての王子のイメージはまったくありませんでしたけどね。 


夏川 翠 2002.5


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