多死社会考

平成29年02月27日(月)

 ここで私は再び全身麻酔下で直腸の腫瘍を摘出した入院経験を思い出しました。手術室へ入った私はプラスチック製のマスクで鼻から下を覆われて、

「渡辺さん、1から順番にゆっくり数を数えて下さい」

 という指示に従って、いくつ数えたか分からないうちに意識を失いました。気が付くと手術はすっかり終わって、集中治療室のベッドの上でした。あのまま目が覚めなかったとしたら、私は死んだことも気が付かないで死んでいたのでしょう。

「つまり、患者に全く苦痛を感じさせないで死なせることが医学的には可能ということですか?」

 ある時、医師にそう聞くと、

「もちろん、それは可能でしょう。ただ、今の法律では安楽死は殺人になりますから、誰もしませんがね」

 という返事でした。

 安楽死…。私はとうとう踏み込んではいけないタブーに触れようとしている危うさを感じながら、しかし、核心に近づいている実感に背中を押されるようにして、会場に最後の質問を投げかけました。

「皆さんは冒頭で今世紀中に死ぬことを確認しました。ここから先は架空の話ですが、結婚予定のカップルが、どんな結婚披露宴にするかを業者と打ち合わせるように、皆さんは意識が鮮明なうちに、どんな状況で死にたいかについて、エンディング・プランナーと話し合います。例えば、財産の整理や心残りなことを全て済ませて、そろそろ人生の幕を引こうと考えたあなたは、中学時代の仲間たちと楽しいひと時を過ごしながら旅立つプランを立てます。狭い部屋のベッドに横たわり、ゴーグルで目を覆います。プランナーがスイッチを入れると、あらかじめ提出した写真をもとに作成された、中学生時代のバーチャル・リアリティの映像が、音声とともに眼前に広がります。おおい、かくれんぼしようぜ!懐かしいクラスメートに誘われたあなたが、草むらに隠れてじいっとしていると、1…2…3…とオニが数える声が遠ざかり、うとうとと眠ってしまったところで部屋に充満したガスが排出されます。プランナーと一緒にあなたの死をモニターで確認した隣室の親族がベッドを取り囲みます。お父さん、笑ってるわ。幸せに旅立ったのね…。こうして見送られることが可能になったとしたら、どうでしょう」

 興味を引く場面を設定してはいるものの、要は安楽死の是非を聞いています。まだ生きている金魚を水槽から取り出せるかどうか…。

「さあ、最期の質問です。賛成する人は起立して下さい」

 と促すと、会場を埋める参加者の大多数が立ち上がり、立ち上がった人たち自身がその数の多さに驚いていました。

 苦痛緩和の処置によって、結果的に生命維持に悪影響が出たとしても、そこに倫理的な合理性が認められれば、かろうじて承認されるというのが、現在の医療の限界です。医療はあくまでも生命を維持する方向を逸脱しない範囲内での営みなのです。それを、一定の条件を付すにせよ、患者の意思に基づいて、積極的に絶つことを認めようという人たちが会場にこれだけ存在するという事実が、長寿を持て余すわが国が直面する苦悩を表していました。民主主義がイデオロギーではなく、多様性を尊重しながら、秩序ある形で全体の意思決定を行うための手続きだとしたら、たくさんの人々が望んだことは叶うはずです。

 安楽死は是か非か、一定の条件とは何か、自宅等の「等」の形態をどこまで認めるか、いつまでも結論を先延ばしする時間的余裕はありません。ただ、この議論の出発点が財政的理由であるだけに、検討のプロセスでは真摯に生命の尊厳に立脚して議論がなされるべきではないかと思います。

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