多死社会考

平成29年02月27日(月)

 ある中学校の福祉講演会に招かれた時のことです。体育館で体操座りをした全校生徒500人と、その保護者たちは、私の話に先だって、『パッチンしておばあちゃん』という映画を鑑賞していました。脳血栓の発作が起きるたびに身体の自由を失って、とうとうまばたきしかできなくなってしまったおばあちゃんが、一人娘と、延べ200人に及ぶ病院スタッフ、ヘルパー、ボランティアなどの献身的な介護に支えられて入退院を繰り返し、幸せにこの世を去るという実話に基づいたアニメですが、出色なのは、わずかに残されたまばたきという能力を用いて、おばあちゃんがケアにやって来た人たちと心を通わせる場面でした。

「おばあちゃん、私ね、彼にふられちゃったの…」

 つらい別れを打ち明ける訪問看護師に、それは悲しかったねという思いを込めて、おばあちゃんがパッチンを返します。

「おばあちゃん、私、こんな嬉しいことがあったのよ」

 喜びを報告するヘルパーに、それは良かったねという思いを込めて、おばあちゃんがパッチンをします。

 物言わぬおばあちゃんに受け止められることによって、たくさんのケアスタッフたちが救われるのです。

 私が体育館に入った時には、ちょうど映画のラストシーンでした。一面の青空をバックに微笑むおばあちゃんの顔が大写しになって、入退院の繰り返しを支えたたくさんのスタッフの姿が現れては消え、やがて、おばあちゃんの魂が天国へ旅立ったことを象徴するように、真っ白な鳩の群れが青空に飛び立ちました。明かりがついて壇上に立った私の目には、会場のあちこちですすり泣く姿が見えました。みんな介護し介護される親子の愛に感動しているのです。そこで私は、会場の前半分を埋める500人の保護者たちに、といっても大半はお母さんたちですが、かねて用意の質問を繰り出しました。

「皆さんは、今世紀中にこの世を去るのですが、晩年は映画のおばあちゃんのように、たくさんのスタッフの支援を受けながら、子供たちの世話になって最期まで住み慣れた我が家で暮らせるだろうと思う人は手を上げて下さい」

 ところが感動的な映画の直後にも拘わらず、結果は惨憺たるものでした。手を上げた保護者の数は、わずかに3人でした。今度は子供たちの番です。私は、諸君!と両腕を広げ、

「諸君のお母さんは、晩年はこの映画のように、住み慣れた我が家で過ごすことは難しいだろうと考えています。そこで諸君に質問します。お母さんの晩年は自分の手で看ようと思う人は手を上げて下さい」

 すると大変思いがけない現象が起きました。前半分の保護者たちが雪崩を打ったように一斉に後ろを見たのです。日頃、親の晩年について子供と話し合う機会はないのですね。我が子が手を挙げているかどうかを確かめようと、盛んに背伸びをしても、制服姿の500人の生徒の中から我が子を発見するのは至難のわざです。しかし心配には及びませんでした。私はあれほど安心な光景を見たのは初めてでした。手を上げた生徒の数もわずかに3人だったのです。

「親子の断絶などと言われて久しいですが、ここに至って親子の気持ちはピタリと寄り添っています。親は看てもらえないと思い、子は看ないと思っている。どうですか?結論が出ましたね。家族介護の時代は終わったのです。安心して自宅で最期を迎えられる社会的システムを作る必要がありますね」

 こうして私は少子高齢化の話題に移ったのですが、ここで、さらに興味深い子供たちの反応に出会うことになったのです。

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