多死社会考

平成29年02月27日(月)

「さあ、いよいよ国家が在宅死の体制づくりに乗り出したところで皆さんに質問です。厚生労働省自宅死等倍化目標は、在宅で死にたいという国民の希望を叶えるためのものでしょうか?それとも終末期医療の国家負担を軽減するのが目的でしょうか?」

 会場の参加者全員が目的は国家負担の軽減であると答えました。

「だとしたら、やがて終末期の救急搬送は拒否されるようになるとは思いませんか?自宅等で看取るシステムを作る一方で、看取りのための入院は制度的に認めない。そうでないと実効性がありません。一人暮らしの場合はどうなるんだという答えが、厚生労働省の文章にある、自宅等の「等」ではないかと思います。医療保険財政は今のままでは持続可能性はありません。少子化で保険料も税も、負担する人口が減って行きます。一方で医療を必要とする高齢者は増えて行くのです。保険料も増やせない、増税も困難となると、給付を制限するしかありません。恐らく、いや、これは想像ですよ、近い将来、ジェネリックしか保険適用にならなくなるでしょう。保険外併用が可能になりましたから、新薬を使いたければ差額を負担すればいい。保険では経験の浅い医師しかカバーされません。あとは経験年数や実績によって差額が出ます。保険は治療に限定されて、延命は自費になるかも知れません。入院は極端に制限されて、通院困難な患者のために、病院の周囲にはアパートが建つでしょう。そのアパートこそ自宅等の「等」かも知れません。保険水準以上の給付を望む人たちのためには、民間医療保険が様々なタイプの保険商品を開発するでしょう。そんな近未来…といっても、団塊の世代を送り出すここ十年の時代を見据えて、さあ、具体的な検討を続けましょう」

 ここで私は直腸の腫瘍を摘出した時の入院経験を披露しました。

「あとは私どもがいたしますので、ご家族はお帰り下さい」

 と言われて病室に一人残された私を、

「何かあったらナースコールを押して下さいね」

 看護師が2時間置きに巡回します。朝になると医師が回診し、必要な処置をし、指示を出します。その間に看護補助職員が病室の掃除をし、食事の世話をします。その繰り返しが私の入院生活でした。一泊でホテル並みの費用の発生する入院生活のルーチンを、病室を地域に分散させ、ナース・ステーションとへルパー・ステーションと訪問診療を行う医師が連携して実施する体制を取ることができれば、自宅にいながら入院と変わらない療養生活が可能になるのではないかと、ベッドの上で漠然と考えていたことが、地域包括ケアという名称で提唱されました。そんなある日、患部に激痛を感じてナースコールを押そうとすると、手に力が入らず、ボタンが床に落ちたのです。体には複数の場所にドレーンやカテーテルが入っています。腕は固定されて点滴につながれています。コールボタンを拾おうにも体をよじることができません。看護師さん、看護師さん…と痛みに喘ぎながら声をふりしぼる時の不安は思い出しただけで胸がつぶれます。入院していても、緊急時の連絡が取れないだけでこのありさまなのです。いつでもスタッフと電話がつながる安心感がなければ、在宅での終末期療療養などに踏み切れるものではありません。

「そこで質問です」

 私は会場を見渡して、

「皆さん、ご自宅で終末期を迎える患者としてお答えください。苦痛や体調の異変を感じたら、深夜でも明け方でも、最も信頼しているスタッフに電話がつながる体制が必要だと思う人は起立願います」

 全員が当然だという顔をして立ち上がりました。

「お座り下さい。お集まりになっているのは医療や福祉の専門職の皆さんですが、今度はご自分が終末期医療を提供するスタッフの一員になったつもりでお答えください。患者さんやそのご家族との間に24時間のホットラインを確保するために、ご自分の携帯電話の番号を教えても構わないという人は起立して下さい」

 立ったのはわずか数人で、会場からは苦笑が漏れました。

「それでは座って頂いて、念のためお伺いします。人生の終末を見守る仕事とはいえ、勤務とプライベートはしっかり分けるべきだ。スタッフに対する患者家族の過度の依存や、スタッフ自身の行き過ぎた心理的拘束を避けるためにも、時間外の連絡はセンターの事務で受ける体制にすべきだという意見の人は立って下さい」

 残りの参加者が立ち上がりました。

 終末期医療に限らず、対人援助を行う専門職にとって、患者家族との信頼関係が何よりも重要だということは分かっていながら、それと同じだけ、労働者としての権利もないがしろにされたくないという本音が見えた場面でした。この辺りの現実は、深夜に子供が発熱して、かかりつけ医のクリニックに電話をすれば、たちまち直面することになるでしょう。

「本日の診察は終了致しました。診察時間は午前9時から午後8時までとなっておりますので…」

 子供の異変に慌てふためく両親の気持ちとはおよそそぐわない落ち着き払った女性のアナウンスが空しく流れるだけで、日ごろ信頼している、かかりつけ医の診察は叶いません。そもそもクリニックとは別の場所に住居を構えている医師も多く、

「先生!夜分済みません!子供の意識がありません。お願いします。診てやって下さい!」

 と診療所のドアを叩く映画のようなシーンは、今は昔の出来事です。親は初めから救急診療の当番医か大病院へ子供を運び、信頼関係のない初対面の医師や看護師に一から病状を説明しなければならない時代を生きているのです。

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