多死社会考

平成29年02月27日(月)

 医療、福祉、行政などの専門職を対象にした講演会だけに、会場のパイプ椅子に空席はありませんでした。参加者に、人生の最期について、自分の問題として考えてもらうつもりで壇上に上がった私は、開口一番、こう切り出しました。

「本日は在宅死を考えるという大変重いテーマを与えられました。そこでまず皆さんにお尋ねします。今年は2017年ですから、今世紀も残すところあと83年になりましたが、皆さんの中で、今世紀中に死ぬ自信がある人は立って下さい」

 最初は戸惑いながら、やがて笑いながら会場は全員が起立しました。

「どうですか?会場を見回して下さい。偉い人も偉くない人も、若い人も若くない人も、運のいい人もついてない人も、みんな今世紀中にいなくなるのです。そう思うと、世の中なんて陽炎のようなものです。今日1日がとても貴重な1日だと思えて来ませんか?さて、立ったままで次の質問をします。皆さんは今世紀中に死ぬつもりで立っていらっしゃる訳ですが、死ぬことなんか全然怖くないと、そう思う人だけ座って下さい」

 すると60代くらいの男性と、50代くらいの女性が1人ずつ座りました。

「え?200人近くいらっしゃる中で、たった2人だけということは、大変貴重な存在ということになりますが、お2人は死の恐怖をいつどうやって乗り越えられたのですか?」

 私の質問に、スタッフが慌てて二人の席へマイクを持って走りました。

「私は高齢者施設の施設長をしていますが、これまで見送った何人もの利用者さんが安らかに旅立たれましたので、あんなふうに逝けるのなら死は怖がらなくていいと思った訳です」

「あ、はい、私も介護の仕事をしていますが、見送った利用者さんは皆さん眠るように最期を迎えられました。死はそんなに怖いものではないのだなあと思っています」

「そうですか、実際に亡くなった人を見ての印象なのですね。私は逆に下顎呼吸って言うんですか?はあ、はあ、と本当に苦しそうな息をして、なかなか死ねない人を見ましたから、死は安らかなものばかりだとは思えません。それでは立っていらっしゃる皆さんにお伺いします。自分は死が怖いというよりは、死ぬ間際の苦痛が恐ろしい。苦痛さえ取り除かれれば、死は怖くないという人は座って下さい」

 この質問で立っている人の4分の3が座りました。

「ほう…随分減りましたねえ。今立っている皆さんは、苦痛ではなくて、死そのもの…つまり自分がいなくなることや、この世との別れ、愛する人との別れが恐ろしいということになりますが、これは宗教の領域です。これを何とか心の持ちようで解決しようとして、釈迦や親鸞が出現したのですね。はい、有難うございました。お座り下さい。それにしてもたくさんの人が死…というよりは、死の周辺の苦痛を恐れていることが明らかになりました。逆に言えば、苦痛が怖いから生きている訳です。にもかかわらず、日本では年間3万人近い自殺者がいます。東日本大震災の死者・行方不明者は1万8千人ですから、それ以上の人が毎年自ら命を絶つのです。これは世界第8位です。もしも死が苦痛を伴わなくて恐怖の対象ではなければ、人はもっと簡単に死ぬのではないでしょうか。我々を生につなぎとめている死の苦痛が、在宅死を考える時には乗り越えるべき最大の課題になることが明確になったところで、次の質問に移りましょう」

 質問に答えて起立するという行為は、挙手に比べれば数段強い意思決定を迫られます。私の質問に立ったり座ったりして自分の意思を明確に表明することによって、会場には期待した以上の一体感が形成されました。

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