多死社会考

平成29年02月27日(月)

「ところで、私は金魚を飼い始めました。ビギナーです。知識がないというのは恐ろしいことですね。金魚にとって水槽は清潔なほど快適だろうと思いまして、頻繁に砂を洗い、水を換えました。これが金魚には負担になったのですね、全身に水ゴケという白い毛が生えて、三匹の金魚は見る見る衰弱しました。ある朝、1匹が死んでいました。網で取り出そうとしたら、よろよろと泳ぎます。生きているのです。生きているうちは捨てられるものではありませんね。次の朝も、その次の朝も、取り出そうとするとまだ生きていて、私は激しいジレンマに陥りました。金魚は死の苦痛を味わっています。水槽から取りだせば簡単に楽にしてやれるのに、一度は可愛がった生き物を、飼い主の手で殺すことはできないのです。金魚ですら殺せません。これが母親だったら、あるいは、これが妻だったらと思いました。そこで皆さんに質問です。家で死にたいと望んだ大切な人が、最期を迎えるに当たってひどく苦しみ出したとします」

 たちまち会場に緊張が走りました。それぞれに大切な人を思い描いたのでしょう。

「ここを乗り越えれば希望通り家で死ねるのだから、大切な人の手を握って励ましながら一緒に苦痛に耐えるか、それとも救急車を呼ぶか、選択肢は2つです。いいですか?よく考えて下さいね。では、一緒に耐えようと思う人は立って下さい」

 ためらいながら数人が立ち上がりました。

「結構です。座って下さい。勇気と決断の要る行為だと思います。それでは念のために聞きましょう。苦しみを見るに見かねて、救急車を呼ぶだろうと思う人は立って下さい」

 圧倒的多数が立ちました。

「はい、在宅死は失敗です。恐らく大切な人はチューブにつながれてとりあえず延命を果たし、統計的には20日ほどの入院で160万円ほどの医療費を使って病院で死亡します。座って下さい。立場を変えましょう。今度は死にゆく人は皆さんです。もちろん在宅死を望んでいます。苦痛に襲われました。文字通り死ぬような苦しみです。その時、大切な人が手を握り、頑張って、頑張って、もうすぐ死ねるからと励ましてくれるのが嬉しいか、救急車を呼んで欲しいか、二者択一です。いいですね?はい、手を握って励まして欲しい人は立って下さい」

 先程と同じ数人が立ちました。看取る側でも看取られる側でも救急車を呼ばない決意が固いのですから、筋金入りの在宅死論者と言っていいでしょう。残りの人たちは、当然、在宅死は果たせません。病院に搬送されて、とりあえず延命を果たし、20日ほどの入院で160万円ほどの医療費を使って病院で死亡します。こうして我が国は、病院で死ぬための医療費が年間で1兆1千億円を上回りました。これは平成29年度の経済産業省の年間予算を超え、平成28年度の愛知県の税収に相当します。そこで厚生労働省は終末期医療に関する調査等検討会を立ち上げて、国民の6割が自宅での看取りを希望しているという調査結果を発表し、自宅等での看取りの数を2025年までに倍にしようという計画を立てたことは前に書いた通りです。今回の講演会もそういう状況の中で開催されていることを説明して私は次の質問に移りました。

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