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  • 更新日 2015年9月16日
  • 青梅市「広報」より
    《第百七十四回》ふるさとの文化財

    禁制状きんせいじょう
    【青梅市指定有形文化財】
    掲載日 平成27年9月15日

    禁制状きんせいじょう」とは、禁止事項を工事する文書の事を公示する文書の事を言います。

    市内成木1丁目安楽寺あんらくじ所蔵の「禁制状」は縦34.2㎝、横51.6㎝の和紙に書かれています。

    愛染院あいせんいんに対して「軍勢の何人も安楽寺へ来て乱暴する者は逮捕する。 もし、手に余る者があれば名前を記して報告すればその者を罪科に処す」という内容の文章が六行にわたり、大きな文字で力強く書かれています。

    発給された年号は書かれていませんが「庚午かのえうま十月廿五日」という干支・日付や、押されている印鑑から、元亀げんき元(1570)年と推定することができます。

    印鑑は縦7.5㎝、横7.3㎝の朱印で「祿壽應穏ろくじゅおうおん」の文字の上に虎の姿が彫られています。「祿壽應穏」とは禄(財産)と寿(生命)が応(まさ)に穏やかであるように、人々が平和で暮らすという願いが込められていると言われています。この印鑑を使用していたのは、小田原を本拠地とし、当時関東の経営と発展に力を尽した戦国大名の北条氏です。

    差出人は北条氏の家臣垪和刑部丞はがぎょうぶのじょうで、主君の命を受けて安楽寺へ「禁制状」を下したと思われます。

    元亀元年ごろ、北条氏は武田信玄と敵対していました。近隣で武田氏との合戦が起きた場合、寺院を守り、領内の安定をはかるために「禁制状」が発給されたと考えられます。

    「禁制状」は年号が確定できる室町時代の貴重な古文書として、昭和年39市有形文化財に指定されました。現在でも安楽寺で厳重に管理保存されています。(非公開)

    問い合わせ 郷土博物館

    ☎23・6859

    市文化財保護指導員
    小島みどり
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