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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第八十九回》ふるさとの文化財

    鐘借用状かねしゃくようじょう
    【青梅市指定有形文化財】
    掲載日 平成20年8月15日

    大名などが、寺院から鐘を借りる時、借りたことを証文として寺に残したものが、「鐘借用状」です。市内では、成木一丁目の安楽寺と長淵三丁目の玉泉寺に、それぞれ鐘借用状が残されています。ここでは、安楽寺に保存されている「鐘借用状」を紹介します。

    借用状は、縦30㎝弱、横45㎝強の大きさです。そこには、「依天下御弓矢達當寺之鐘御借用ニ候速ニ可有進上候御世上御静謐之上被鋳立可有御寄進間為先此御證文其時節可被遂披露旨被仰出者也仍如 天正十六年戊子正月五日 成木愛染院」と書かれています。内容を簡略して述べると、「軍用として鐘を差し出すように。世の中が落ち着いたら、必ず新しい鐘を鋳造して寄進するから、その際は、この証文を出すように」とあります。この証文が書かれた天正十六年正月は、西暦1588年になります。

    当時の世情についてみると、1582年6月に織田信長が本能寺の変で他界した後、家臣の羽柴秀吉は清洲会議(1582)で後継者となりました。以降、天下を統一する趨勢すうせいで、賤ヶ岳の戦い(1583)、小牧・長久手の戦い(1584)、四国平定(1585)、九州平定(1587)などを経て、残すところは、関東地方を支配している小田原の北条氏政を降伏させる状況でした。

    一方、北条氏政の勢力は防御に努めるため、鋳造して武器となる金属を集めました。安楽寺にある鐘はそのひとつでした。 なお、安楽寺に保存されている本借用状は、非公開です。ただし、郷土博物館に精巧なレプリカが展示されています。

    市文化財保護指導員
    角田 清美
     参考資料
    『青梅ゆかりの文化財』より
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