Ome navi
Aoume
  • 更新日 2017年3月15日
  • 青梅市「広報」より
    《第一回》青梅市の文化遺産

    裏宿遺跡うらじゅくいせきから出土しゅつど埋甕まいがめ
    掲載日 平成29年3月15日

    裏宿遺跡は今から約4千年前の、縄文時代中期末葉を主とする遺跡です。

    昭和58年7月に発掘調査が行われ、平安時代や縄文時代の住居跡とともに、磨製石斧ませいせきふ石鏃せきぞく、細長い編み物用と思われる石などが見つかり、集石遺構や貯 蔵穴なども発掘されました。

    縄文時代の住居跡は、一般的には円形または隅丸方形すみまるほうけいですが、ある時期だけ柄鏡形えかがみがたに作り、床面やの部分に石を敷き詰める「柄鏡形敷石しきいし住居」と呼ばれるものがあります。

    この遺跡では柄鏡形敷石住居跡が4か所見つかり、写真はその中でも最後に作られたと思われる住居跡の張り出し部に設けられていた埋甕うめがめです。

    時代は縄文時代中期の終わり、加曾利かそりE様式の土器で、ほぼ完形に近く、焼き方や形、文様もすばらしく、市内ではほとんど出土していない珍しいものです。

    全高約35cm、胴部の最大径約44cm、底部の直径約8cm、重さ6.5Kgで一部は朱で彩られ、縄文は一切付けられていません。

    口縁部には、帯状の把手とってが向かい合って付けられ、極端に小さな底の部分と大きく張り出した胴の部分の対比が印象的です。

    この土器の文様は器面きめんを大胆に使い、微隆起帯びりゅうきたいで形作り、底部から左右に噴き出すような渦巻き状のがらに仕上げられています。見方によると大きなハート形に見え、遠望するとカマキリの顔の部分を描いたようにも見えて、文様の発想に驚きます。

    砂混じりの粘土で仕上げた焼きは硬質であり、底に対する胴部の安定性を考慮し、形や文様の発想からも高度な技術を持って作成したことが推測できます。

    広大な裏宿遺跡のほんの一部の発掘ではありましたが、多くの遺物や遺構によって、この地域での縄文時代全般、特に柄鏡形住居が作られた短い時期における生活遺構などの全貌が明らかとなりました。

    この土器は、郷土博物館「青梅市の文化遺産」のコーナーで展示しています。

    問い合わせ郷土博物館

    ☎23・6859

    市文化財保護指導員
    鈴木 晴也
    裏宿遺跡から出土の埋甕裏宿遺跡から出土の埋甕
    base base base