小林天渕は、青梅宿で酒舗を営み、村政にも携わりながら、詩・書・画・俳諧をよくした江戸時代後期の文化人です。天渕(天淵)は画号で、通称は勘右衛門、または六郎兵衛と名乗っていました。書は書家である祖父・小峰峰真(峯真)に、詩文は江戸の菊池五山に、画は谷文晁に、俳諧は江戸の桜井梅室にそれぞれ学びました。多数の作品を遺し、有名な作品としては青梅市の有形文化財に指定されている住吉神社拝殿天井の雲竜図や梅図屏風などがあります。また隠居後は塾を開き六百余人もの門下生を育て、文久3(1863)年に86歳で没しました。
この画像は、天渕没後に塾生により制作されたと推察されます。下方には、老年の天渕が、絵筆も混じる筆立・硯屏・筆架・朱泥・落款印を載せた本箱を背にし、書見台を左に湯呑み茶碗を右に置き、端座しています。自画像と伝わってはいますが、確証はありません。中央部の色紙には、門下生の横川好々(書号・臼左)が「おさがりや 富士たたそ(染)むる はけはしり 汪洋」と天渕の句を書いています。汪洋は天渕の俳諧号です。最上部には、塾生・浜中良亮の作った師・天渕を称える漢詩が、書家・横川章庵によって揮毫されています。裏面には、天渕三十三回忌にあたる明治28(1895)年に、門人・臼左が追悼文を記しています。
この人物画像は多能多才な天渕をよく表すとして、昭和39年に青梅市有形文化財に指定されました。現在は郷土博物館所蔵で、3月21日(祝)まで同館で開催されている「小林天渕展」に展示中です。郷土博物館は青梅駅から鮎美橋経由で徒歩約10分です。
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