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  • 更新日 2017年12月16日
  • 青梅市「広報」より
    《第十二回》青梅市の文化遺産

    やじり変化へんか狩猟具しゅりょうぐから神事具しんじぐへ~
    掲載日 平成29年12月15日

    矢柄やがらの先に付けるやじりは、縄文時代から作られ、弓による強い力で正確に射止める飛び道具として重要な発明でした。

    市内で発見された縄文時代中期の鏃は、二等辺三角形の底部を凹状にした、長さ1.5㎝ほどのものが多く、時には1㎝にも満たない極小のものもあります。縄文時代晩期を含む遺跡では棒状のものや有茎ゆうけいの鏃も出土します。

    写真1は、藤橋の丸山遺跡から出土した、長さ3.7㎝にもおよぶチャート製の大型石鏃です。先端部分の形はきりに近い特殊なもので、技術的に優れた人々の製作ではないかと思われます。

    写真2は、二俣尾の上生原かみおいばら遺跡から出土した有茎の鏃で、ガラス質の透き通るほどの透明感がある黒曜石で作られています。旧石器時代末の有舌尖頭器ゆうぜつせんとうきの形に似ており、一旦廃れた形を小型に変え、新しい時代に作られたように感じます。

    縄文時代の弓矢は、狩猟文化の面で最も重要な道具ですが、弥生時代では、狩猟用の道具の他に、武器としても使われたと考えられています。

    写真3は、師岡町の馬場遺跡から出土した、弥生時代の有孔磨製石鏃ゆうこうませいせきぞくです。磨かれた長さ5.3㎝の鏃には、小さな穴が空けられています。原石である千枚岩せんまいがんなどの石屑いしくず砥石といしなどが出土したことで、この地で作られたと推定されています。

    写真4は、武蔵御嶽神社に奉納された、鎌倉時代から南北朝時代の鉄製鏃です。鏑矢かぶらやに付ける鏃の実用品とみられ、後に流鏑馬やぶさめ神事に使われた可能性も秘めています。

    以上のように、鏃の材質は、時代とともに変化してきました。形はほとんど変わらず、その用途は狩猟具から武具へ、そして神事の用具へと変わり、青梅の文化を語る重要な手掛かりの一つです。

    問い合わせ郷土博物館

    ☎23・6859

    市文化財保護指導員
    鈴木 晴也
    大型石鏃「写真1」
    藤橋の丸山遺跡から出土したチャート製の大型石鏃
    有茎の鏃「写真2」
    上生原遺跡から出土した有茎の鏃
    弥生時代の有孔磨製石鏃「写真3」
    馬場遺跡から出土した、弥生時代の有孔磨製石鏃
    南北朝時代の鉄製鏃「写真3」
    鎌倉時代から南北朝時代の鉄製鏃
    「広報おうめより」
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