掲載日 平成29年12月15日 | 市内で発見された縄文時代中期の鏃は、二等辺三角形の底部を凹状にした、長さ1.5㎝ほどのものが多く、時には1㎝にも満たない極小のものもあります。縄文時代晩期を含む遺跡では棒状のものや 写真1は、藤橋の丸山遺跡から出土した、長さ3.7㎝にもおよぶチャート製の大型石鏃です。先端部分の形は 写真2は、二俣尾の 縄文時代の弓矢は、狩猟文化の面で最も重要な道具ですが、弥生時代では、狩猟用の道具の他に、武器としても使われたと考えられています。 写真3は、師岡町の馬場遺跡から出土した、弥生時代の 写真4は、武蔵御嶽神社に奉納された、鎌倉時代から南北朝時代の鉄製鏃です。 以上のように、鏃の材質は、時代とともに変化してきました。形はほとんど変わらず、その用途は狩猟具から武具へ、そして神事の用具へと変わり、青梅の文化を語る重要な手掛かりの一つです。 問い合わせ郷土博物館 ☎23・6859 |
|
---|---|---|
市文化財保護指導員 鈴木 晴也 | ||
「写真1」 藤橋の丸山遺跡から出土したチャート製の大型石鏃 |
「写真2」 上生原遺跡から出土した有茎の鏃 |
「写真3」 馬場遺跡から出土した、弥生時代の有孔磨製石鏃 |
「写真3」 鎌倉時代から南北朝時代の鉄製鏃 |
||
「広報おうめより」 | ||