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  • 更新日 2017年4月15日
  • 青梅市「広報」より
    《第四回》青梅市の文化遺産

    土器底部どこていぶつたえる文化ぶんか一面いちめん
    掲載日 平成29年4月15日

    ―網代痕と指紋、木の葉痕―

    喜代沢遺跡出土品を調べて


     縄文時代は約1万年間続き、草創期から早期、前期、中期、後期、晩期まで6つに分けられています。その後期から晩期(約4千年から2千300年前)に該当する遺跡が、市内駒木町の喜代沢きよさわ遺跡です。

     この時代には、精製せいせい土器という文様や器面の仕上げなど、美しく作られた従来の土器に加え、粗製そせい土器という、煮たり沸かしたりする機能だけを追求した土器が並行して作られるようになります。

     この遺跡で出土した土器の中に粗製土器も多く含まれ、底部のかけらもあるなか、その裏側にある痕跡が残された特殊な物を3点取り上げてみました。

     写真左側は、縄文人の指紋しもんがついたまま焼かれた粗製土器で、底部の角に小さな割れが入り、それを補修した時に付いたまま焼かれて残ったものと推測します。

     写真中央は底部に葉の跡があり、葉身ようしん部分の葉脈ようみゃくが残っています。

     写真右側は、底部に竹やしのなどを板状に細く削り、隙間無く編んだ網代あじろの痕跡が残されています。

     ここに粘土を押し当てると、当時の網代が解明でき、その使用実態が分かります。

     この網代痕は大変鮮明で、土器の重さや水分蒸発量、網代の素材にも関係するなか、土器を乾かすために置いた時に付いたものか、成形せいけいの際、作業台上で回転しやすいように小形の物を敷いたのか定かではありませんが、木の葉を敷くことでも同様の機能となります。

    この土器は、郷土博物館「青梅市の文化遺産」のコーナーで展示しています。

     土器の底部は無文が多いなか、この遺跡の土器底部には網代痕が多く、現代の私たちに、網代を使っていたことや指先を巧みに使って土器を作製していたこと、木の葉を使って作業の一工程を行っていたことなど、当時の文化の一面を土器に付けた痕跡により伝えているように感じます。

    問い合わせ郷土博物館

    ☎23・6859

    市文化財保護指導員
    鈴木 晴也
    喜代沢遺跡出土品喜代沢遺跡出土品
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