軍畑駅 → 鎧塚 → 旧鎌倉街道 → 奥澤橋 → 旧青梅街道 → 西木戸跡(桜橋原遺跡)→ 旧青梅線二俣尾引込線跡 → 長泉院 → 海禅寺(三田氏墓・三田綱秀首塚・クスノキ・桃ノ里歌碑)→ 石神社(大イチョウ)→ 横吹のイヌグス → 旧神代万年橋跡 → 日向和田駅 | ||
軍畑駅は多摩川が作った河岸段丘のうち最も高い段丘面上にあり、二俣尾駅をすぎ、平溝鉄橋を渡ると急に奥多摩の山峡に入ります。 電車内の行楽客が歓声をあげるのもこの場所です。 | ||
JR青梅線の鉄橋の下にある鎧塚は、永禄年間(1560年代)の辛垣合戦の折り、戦死者を埋葬した塚だといわれています。 高さ約8.8メートルの塚の上には「鎧塚大明神」の小祠があり、享保16(1731)年に再建されています。 『武蔵名勝図会』には「土人此(この)塚を穿(うがち)て矢の根又は鎧の錣(しころ)、或は槍の穂其外種々の兵具を掘り出せしことありといふ。 合戦の後に討死せし者の兵具を埋めたる塚なり」と書かれています。 | ||
榎峠から鎧塚の横を通り、多摩川を渡って柚木に向かう道は、旧鎌倉街道の一部です。 旧鎌倉街道は、鎌倉時代に整備された、鎌倉と秩父や北関東の各地を結ぶ重要な街道で、今でいえば一級国道に相当するものでした。 街道の所どころには道標や庚申塔が残されています。 | ||
奥澤橋は旧鎌倉街道と旧青梅街道が交差するところで、平溝川に架かっています。 この橋から北に向かうと名栗村を経て秩父に至り、東に向かうと青梅を経て東京に至ります。 いわば追分に架かっている橋です。 橋の規模は幅約3.8メートル、長さ約12メートルで、明治36(1903)年に作られました。 「右はんのう ちゝぶ 子の古んけんミち」 「左 ミたけ 日原 くら沢 ひ川 ゆバ た波山」 | ||
奥澤橋から東は二俣尾へ向かい、西は鎧塚の前を通って御岳・奥多摩へ至る道があります。 これは旧青梅街道の一部です。 幅5メートルのこの旧街道は、昭和6(1931)年頃までは奥多摩と東京を結ぶ重要な道でした。 | ||
西木戸跡は、現在は運動広場や宅地、畑地として利用されています。 この舌状の台地は、中世の頃に辛垣城の西木戸(城門)があったといわれています。 | ||
二俣尾駅の北側にそびえている雷電山一体は、石灰岩が埋まっているところです。 石灰岩はセメントや肥料などの原料となるため、山腹や山頂の各所で掘り出されました、 それを運び出すため、大正9(1920)年1月、それまで日向和田駅までだった路線は、二俣尾駅まで延長されました。 | ||
二俣尾駅の北側にあるこの寺は、海禅寺の第3世・雪庵寿欽によって、永正年間(1504~1521)に建てられました。 金花山と号し釈迦如来を本尊とする曹洞宗のお寺です。 辛垣城あとの登り口にあたるため、寺の裏には「辛垣城跡」の解説板が建てられています。 | ||
瑞龍山と号し、本尊は釈迦如来です。 室町時代の寛正年間(1460~1465)に群馬県白井・雙林寺(そうりんじ)の、第2世の一州正伊を開祖として開かれたといわれています。 その後、この地方を支配していた豪族の三田氏の厚い保護を受けていました。 | ||
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東京都の旧跡に指定されている三田氏の墓は、本堂西側の山中にあります。 | |
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本堂西側の坂道を100メートルほど登った竹林の中にある五輪塔は、三田綱秀の墓(俗に首塚)とされ、永禄年間(1558~1570)に僧禅染が建てたといわれています。 しかし、形式からみると三田氏の墓と同じく、江戸時代初期のもののようです。 | |
●クスノキ | 三田氏の墓の南側斜面に2本、鐘楼東側に1本の合計3本あります。 幹回りは2.6~3.5メートルで、市内にあるクスノキのうちでは最大です。 | |
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碑は青梅街道に面した、海禅寺総門の前にあります。 高さ1.1メートル、幅0.8メートルの自然石で作られています。 | |
石神社は、『石神前」駅から、徒歩で約2分ほどのところにあります。 祭神は磐長比女命(いわながひめのみこと)で、例祭は10月の第2日曜日です。 神社の由緒は明らかではありませんが、古い文献には「神体は丸き石なりと云う」とあります。 もとは石神神社といいましたが、明治維新の際に石神社(石神神社)と改めました。 二俣尾の氏神様として崇敬されています。 | ||
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拝殿の東側に接して、今なお樹勢さかんなイチョウは、市内最大のイチョウです。 昭和32(1957)年に市の天然記念物に指定されています。 | |
目通り3.85メートル、樹高約16メートルのこの大イヌグスは、横吹第2踏切の北(小字横吹)にあります。 暖地の海岸近くなどにはイヌグスの巨木が多く見られますが、内陸地でこれだけ大きいものは珍しく、市の天然記念物に指定されています。 | ||
旧神代万年橋の跡は、へその緒観音堂の下にあります。 スギ林の中に続く細い坂道を下ると、かつての橋台の跡につきます。 | ||