御岳駅 → 滝本 → 大スギ → スギ並木 → ビジターセンター → 御師集落 → 神代ケヤキ → 武蔵御嶽神社(境内・宝物殿)→ 綾広水道碑・中里介山碑・神山霊土碑・青銅鳥居 → 天狗杉 → ロックガーデン → 綾広ノ滝 → 天狗岩 → 七代ノ滝 → (御師集落・滝本)→ 御岳渓谷 →御岳駅 | ||
御岳山や御岳渓谷への玄関が御岳駅です。 この駅は昭和4(1929)年9月に開設され、それ以降、参拝者や行楽客でにぎわっています。 駅前の青梅街道の両側には、旅館や多くの土産物屋が並んでいます。 | ||
御岳山の登山口になっている滝本までは、御岳駅からバスで約10分です。 駅から商店街を西へ、徒歩で神路橋を渡って行くと、約30分です。 滝本は大沢川によって作られた谷の底にあり、付近には山下御師集落があります。 また、周囲にはスギの巨樹がたくさんあるため、夏でも涼しく、山奥に来たような気分になれます。 滝本から御岳山までは昭和10(1935)年1月に設けられた御岳登山鉄道のケーブルカーが走っています。 始発の滝本駅から終点の御岳山駅までは約1.1キロメートルで、ケーブルカーで約6分、徒歩で約80分です。 | ||
御岳登山鉄道の入口にある大スギは、成木安楽寺の大スギ、塩船観音寺の大スギにつぐ巨樹で、市の天然記念物に指定されています。 | ||
山頂の武蔵御嶽神社に向かう参道の両側には、約790本のスギが植えられており、このスギ並木を歩くと、往古の荘厳さが伝わってきます。 これだけの規模のスギ並木は都内にはなく、市の天然記念物に指定されています。 | ||
ビジターセンター |
御岳山は昭和25(1950)年に、日本で16番目に指定された秩父多摩国立公園の一部です。 鉄骨2階建てのビジターセンターは、御岳山を訪れた人たちに国立公園の概要を説明し、また科学的な知識を持ってもらうために設けられました。 ・・・・・ 2012年6月11日から12月28日まで一時移転をして改修工事をしていましたが、2013年1月4日よりリニューアルオープンしています。 ケーブルカー御岳駅より徒歩10分の所に在ります。 | |
御師とは、神社(神)と信者の間にたって祈とうをし、また、信者のために宿泊の世話をする人です。 この人たちが作っている集落が御師集落です。 武蔵御嶽神社は信仰の歴史が古いため、集落の歴史も古く、江戸時代に建てられた馬場家住宅(都有形文化財)など、建築学上貴重な家屋もいくつかあります。 御師の家は、山上に28軒、滝本付近に7軒あります。 | ||
御岳山の神代ケヤキは、樹高約23メートル、幹回り約8.2メートルの大きさです。 幹や枝には大小のコブがあり、幹にはツタウルシがついているため、巨樹特有の壮厳さと神秘性をうかがわせています。 昭和3年(1928)に、国の天然記念物に指定されました。 | ||
武蔵御嶽神社は御岳山の山頂(929メートル)にあり、古くから関東の霊山として人々に尊崇されています。 中世以降、農耕の神として関東一円の農民の信仰するところで、毎年春には数万の参詣者が登拝しています。 祭神は櫛真智命(くしまちのみこと)ほかふた柱で、創立は崇神天皇7・紀元前90年と伝えられています。 祭日は「太占祭(ふとたまさい){1月3日}、日の出祭り{5月8日}、流鏑馬祭{9月29日}、秋祭り{11月5日}」となっています。 境内から出土した布目瓦などによって、古くから社殿が建立されていたと推定され、徳治2(1307)年には壬生氏によって社殿の造営が行われています。 その後延文年間(1356~1361)、応永年間(1394~1428)には関東管領により、また、永正8(1511)年には三田氏、慶長11(1606)年・元禄13(1700)年には徳川幕府によって、たびたび造営がなされています。 中世以降、御嶽蔵王権現といいましたが、明治7(1874)年に御嶽神社と社号を定め、さらに、昭和26(1951)年現社名に改められました。 | ||
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境域は、スギやヒノキそして多くの種類の広葉樹によっておおわれているため、神社の雰囲気にぴったりです。 本殿は神明作りで、拝殿・幣殿は権現作りとなっています。 玉垣・唐門・随身門・ 天正19(1591)年には徳川氏から30石の朱印状が与えられており、旧本殿は東京都の有形文化財(建造物)に指定されています。 | |
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国宝の赤糸縅大鎧 |
昭和51(1976)年に建てられた宝物殿は、文字通り武蔵御岳神社の宝物が収められている蔵です。 ここには、国宝の赤糸縅大鎧(あかいとおどしおおよろい)・金覆輪円文螺鈿鏡鞍(きんぷくりんえんもんらでんかがみのくら)1具、国の重要文化財に指定されている紫裾濃大鎧(むらさきすそごおおよろい)・鍍金長覆輪太刀・宝珠丸黒漆鞘太刀、国の重要美術品に指定されている鉄製俵(慶長15・1610年在銘)・正中年間(1324~1326)宝珠の名がある太刀が展示されています。 さらに東京都の有形文化財に指定されている鰐口(わにくち){建武5・1338年在銘)。 この他、具足・馬具・刀剣類などの貴重な品物が展示されており、必見のものばかりです。 |
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御師集落は、かつては水に乏しかったため、御岳山上の人々が協力して昭和16(1941)年に綾広ノ滝から水道を引きました。 この工事の発起および完成の由来を記したのがこの碑です。 「大前に生命の水と湧きたぎちながれてやまじ綾広水道」の碑文があり、当時の人々の喜びが伝わってくるようです。 | |
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中里介山の小説『大菩薩峠』は、ギネスブックにも載っている長編小説です。 小説の中で、主人公の机竜之介と宇津木文之丞の試合が行われた場所という設定にちなみ、昭和31(1956)年に石碑が設立されました。 碑には「上求菩提、下化衆生」という作者自筆の文字が刻まれています。 | |
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この歌碑は武蔵御嶽神社の玉垣内にあります。 かつて神社敷地内の土が害虫除けになるとの信仰があったので、その土の霊力をたたえた長歌や短歌が刻まれています。 明治20(1887)年に建てられました。 | |
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青銅製の珍しい鳥居は、神社の前に並ぶ土産物店から約2分のところにあります。 地面から笠木の天端までの高さは5.3メートル、2本の柱の幅は約3.5メートルで、柱の円周は根本付近で約1.29メートルの大きさです。 この鳥居は、江府真先神明之神主の鈴木兵部平智庸・山城平庸吉および丹後宮津城主の松平伊予守藤原資永が願主となって、安永(1780)年11月に建てたものです。 鋳物大工は神田の長谷川刑部ほか6人で、足代師は田中夘右衛門ほか3名です。 昭和10(1935)年ころ、落雷により壊れてしまいましたが、昭和12(1937)年8月に豊川豊明講の有志50名によって再建されました。 | |
武蔵御嶽神社からロックガーデンに向かう途中に天狗杉(別名天狗の腰かけ)と呼ばれるスギの巨樹があります。 空をかけめぐる天狗が腰をかけるのに、おあつらえ向きの形をしています。 天狗杉から右手の坂道をのぼれば、武蔵御嶽神社奥ノ院へ向かいます。 | ||
ロックガーデン |
武蔵御嶽神社から歩いて約20分の御岳沢一帯は、市内では珍しい山岳地形の場所です。 山はけわしく、谷は深く、山腹や谷底には天狗岩をはじめとして大小さまざまな奇岩が露出しています。 谷底を流れる水はとてもきれいで、遊歩道も整備されており、散策する人々を楽しませてくれます。 | |
お浜の桂 |
綾広ノ滝はロックガーデンの上流にあります。 滝の高さは約10メートルで、水しぶきをあげて流れ落ちています。 滝壷の深さは約1.2メートルで、水遊びにはもってこいのところです。 すぐ近くには『大菩薩峠』に出てくる『お浜の桂』もあります。 | |
ロックガーデンの下流には、天狗岩と呼ばれる巨岩が天に向かって突き出ています。 歩道からの高さはわずか数メートルですが、七代ノ滝から見あげると30メートル近い高さです。 天狗岩を作っている岩はチャート(ケイ岩)と呼ばれる非常に固い岩であるため、侵食に耐えて残ったものです。 | ||
御岳ロックガーデンの下流にあり、7段に見えることもありますが、大小8段からなる神秘的な滝です。 落差は全体で約50メートルもあり、下から3段目と4段目の滝が最も大きなものになっています。 綾広ノ滝や天狗岩と同じチャートでできています。 | ||