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  • 更新日 2013年 5月23日
  • 御岳渓谷の自然と名碑

    沢井駅沢井八雲神社(獅子舞)→白秋歌碑青年の像御岳渓谷御岳小橋玉堂美術館御岳杣歌碑清水比庵歌碑御岳山旧一ノ鳥居御岳山碑寒山寺楓橋 → 沢井駅
    御岳渓谷のカヌー多摩の野鳥鮎漁

    沢井駅さわいえき

    沢井駅は昭和4(1929)年9月に、青梅鉄道が御岳駅まで延長された時に、旧青梅街道に面して設けられました。

    沢井八雲神社さわいやぐもじんじゃ
    沢井八雲神社
    沢井八雲神社

    駅から数分のところには、沢井八雲神社が祀られています。

    獅子舞ししまい

    この神社の獅子舞は、都の無形文化財に指定されており、7月の第三日曜日に奉納されます。

    白秋歌碑はくしゅうかひ

    北原白秋は大正12(1923)年3月に青梅を訪れました。 白秋は御岳山に登り、その帰途に沢井の酒造に立ち寄りました。 そのとき、長歌の一篇として”造り酒屋”の歌を詠じています。

    歌碑には、長歌の反歌『大御代の多摩の酒屋の門櫓(かどやぐら)酒の香(か)さびて名も古(ふ)りにけり、西多摩の山の酒屋の鉾杉は三もと五もと青き鉾杉」のうちの後半が刻まれています。

    この碑は、昭和42(1967)年3月にこの酒造の庭に建てられました。 碑面はこの長歌が載っている『篁』(たかむら)という本の初版の活字を拡大したものです。

    碑の設計などに携わったのは、同郷(筑後)の後輩で、詩人の野田宇太郎です。 碑は鉾スギの形に似た自然石を選んでいます。

    青年の像せいねんのぞう
    青年の像

    青年の像は、楓橋のすぐ上流の巌頭に下流に向かって建っています。 この像は、作者の朝倉文夫の遺族から寄贈され、昭和39(1964)年11月に現在の位置に建てられたものです。

    朝倉文夫あさくらふみお

    朝倉文夫は明治16(1883)年大分県に生まれ、明治40(1907)年東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業し、その翌年に文展に出品した「闇」以来連続受賞し、写実的作風で官展界に重きをなした肖像彫刻の第一人者でした。

    彼は昭和20(1945)年3月から翌年まで、平溝(二俣尾5丁目)の高源寺などに家族と一緒に疎開しています。 また、永く母校の授業を務め、芸術院会員にもなり、昭和23(1948)年81歳で没しています。

    御岳渓谷みたけけいこく
    御岳渓谷
    御岳渓谷

    多摩川に沿って、沢井駅の下にある楓橋から上流の神路橋までが御岳渓谷です。 御岳渓谷の水は、環境庁の「日本名水百選」に選ばれました。

    四季を問わず、いつ訪れても山水の美が満喫でき、手軽な散策コースとして利用されています。 はや・やまめ・鮎の渓流釣りのメッカとして、広く知られています。

    最近ではカヌー競技も行われるようになりました。 毎年5月中旬には、関東渓流カヌー大会が開かれています。

    御岳小橋みたけこばし 御岳小橋

    御岳渓谷の中ほどにある御岳小橋は歩行者専用のつり橋です。橋の上から眺める景色は美しく、足下には奇岩が並び、また、岩陰の淵や瀬でウズまいている流れは神秘的ともいえます。

    玉堂美術館ぎょくどうびじゅつかん 玉堂美術館

    玉堂美術館は川合玉堂(かわいぎょくどう)画伯(昭和30(1955)年、名誉市民)の生涯の画業を記念して、昭和36(1961)年4月に建てられました。 建物は文化勲章受賞者の吉田五十八の設計で、飛騨の民家と寺院回廊の特徴を生かしたものです。 館内には玉堂の作品をはじめ、画室・遺品などが展示されています。

    川井玉堂かわいぎょくどう

    玉堂は明治6(1873)年愛知県に生まれ、早くから絵画を志しました。 彼が青梅をはじめて訪れたのは明治31(1898)年、25歳の時だったようです。 昭和19(1944)年7月に、戦争のため御岳に疎開し、一時、古里村(現・奥多摩町)白丸に転居しましたが、再び翌年12月、沢井上分(現・御岳本町)に移りました。以来84歳で没するまでここに住み、多くの作品を描いています。

    画伯は伝統的な日本画の本質を守り、明治・大正・昭和の3代にわたって、日本芸術文化の振興に貢献しました。

    御岳杣歌碑みたけそまうたのひ

    玉堂美術館の右手に建つこの歌碑は、昭和39(1964)年8月に玉堂会によって建てられました。 歌碑には、御岳杣歌の一節「まねくあだ浪ながれて 末は花の都の化粧の水」そして寓庵、玉堂の署名と、自筆の踊り子の絵が刻まれています。

    この杣歌は昭和29(1954)年、玉堂が81歳の時の作で、古関裕而が作曲し、赤坂小梅・岡本敦郎のふたりがレコーディングしました。 現在でも民謡として、地元で広く歌われています。

    清水比庵歌碑
    清水比庵歌碑
    清水比庵歌碑

    碑は玉堂美術館前の左手にあります。 碑面には「山近く水急(はや)くしてまのあたり玉堂先生描きたまふや 清水比庵」とあります。 碑は、文字や枠を白く浮き出させてあり、また、その特異な筆跡からすぐわかります。

    御岳山旧一ノ鳥居みたけさんきゅういちのとりい
    御岳山旧一ノ鳥居
    御岳山旧一ノ鳥居

    多摩川の南側、吉野街道を東に進むと、トンネルが二つあります。 その二つ目のトンネルの上に、御岳山旧一ノ鳥居があります。

    旧一ノ鳥居は、江戸時代には現位置よりさらに上にあり、明治19(1866)年に新道が開通した際、現位置に移されたようです。 この鳥居は文化7(1810)年7月に、地元の人々により寄進されています。

    山田早苗の『玉川泝源(そげん)日記』には「是より御岳山に次第にのぼり坂道なり、神領の入口に一ノ鳥居立ちたり。 石造にて『文化七庚午年七月村奉納』と鐫(ほ)りて、額も石にてつくりて、『御岳山』と鐫りたい。 その傍に碑石立ちたり。」と記述されています。

    旧御岳村境に建てられていたこの旧一ノ鳥居は、昭和35(1960)年11月3日、市の史跡に指定されています。

    御岳山碑みたけさんのひ
    御岳山碑「是より四十二丁」
    と彫られています。
    御岳山碑

    山田早苗が『玉川泝源日記』で、「その傍に碑石立ちたり」と紹介したのが、武州御岳山碑です。 この碑には青梅の文人根岸典則の撰文(せんぶん)が刻んであり、彼の撰文としては市内に残る唯一のものです。 碑は文化3(1806)年に建てられ、まず御岳山の歴史について述べ、中~後段にかけて参道等の景観をたたえています。

    寒山寺かんざんじ
    寒山寺
    寒山寺

    寒山寺は中国の蘇州にある寒山寺にちなんでいます。 書家の田口米舫が明治18(1885)年に中国の姑蘇城外の寒山寺を訪れた際、主僧の祖信師より釈迦仏木一体を託されました。 帰国後、昭和5(1930)年に小澤太平氏の協力によって、ここに寒山寺が建立されました。

    当時の院展級大家により描かれた格天井(ごうてんじょう)は、いまもなお華やかさを保っています。 当初の梵鐘は、第二次大戦中に供出されましたが、昭和40(1965)年8月、鐘楼とともに再建されました。 また、昭和45(1970)年には、川井玉堂門下24画伯により、鐘楼の格天井の復元されています。

    そのほか、張継の漢詩の一節「楓橋夜泊」の碑、「寒山・拾得」の画伯の碑があります。

    楓橋かえでばし
    楓橋
    楓橋

    酒造の中庭と寒山寺を結ぶ橋が、楓橋です。 橋の長さは約60.7メートル、幅は約2メートルで、鉄筋製のつり橋の高さは約10メートルです。 足下を流れる多摩川の清流、季節によって変化する両岸の景色は、いつ訪れても心がなごみます。

    御岳渓谷のカヌーみたけけいこくのかぬー 御岳渓谷のカヌー

    日本で近代的なカヌー競技が始まったのは、昭和11(1936)年です。 ベルリンでオリンピックが開かれた際、選手団役員がカヌーを持ち帰ったことがきっかけとなり、翌12年には東京市と専修大学の間で、対抗試合が行われました。

    しかし、これより前の昭和7(1932)年頃、御岳渓谷でカヌーに乗ったという人がいるようですので、日本のカヌーの歴史について研究してみるのも面白いと思います。

    御岳渓谷での最初のカヌー競技大会は、昭和41(1966)年の、全日本選手権大会でした。 その後、カヌー愛好者は次第に増加し、いろいろな大会が開催されるようになりました。

    多摩の野鳥たまのやちょう

    青梅市には、日本七大野鳥棲息地のひとつである御岳山があるため、野鳥の種類も多く、34科117種類にも及んでいます。

    鮎漁あゆりょう 若鮎の像

    アユはニシン目アユ科の淡水魚で、アイと呼ぶところもあります。 多摩川には古くからアユが棲んでおり、沿岸の住民はさまざまな漁法でとっていました。 江戸に幕府が開かれると「御用鮎」として上納されるようになり、また、江戸に市場が開かれると、商品として盛んに取引されるようにもなってきました。

    多摩川のアユに大きな変化がおこったのは大正2(1913)年からです。 それまで、多摩川のアユは天然ものでしたが、この年の6月に石川千代松博士によって、万年橋の下で琵琶湖から運んできた稚アユ300匹が放流されました。 当初は失敗しましたが、石川博士はその後も努力を重ね、とうとう大正7(1918)年に成功しました。

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