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  • 更新日 2018年1月17日
  • 青梅市「広報」より
    《第十三回》青梅市の文化遺産

    幕末ばくまつ三舟さんしゅう幟旗のぼりばた
    掲載日 平成30年1月15日

    かつ 海舟かいしゅう、高橋泥舟でいしゅう、山岡鉄舟てっしゅうの三人は、幕臣として江戸無血開城の実現に関わり、また、雅号の「舟」の一致から、「幕末の三舟」と称されます。この三人が筆をふるった神社ののぼり旗が、市内に存在します。

    勝 海舟は、千ケ瀬町2丁目にある千ケ瀬神社の幟旗に筆を揮いました。明治14年9月、戸長であった榎本政次郎と、千ケ瀬学校教師であった平岡阿斗之助の依頼に応じ、「神徳周邦土明治十四年辛巳九月 吉祥日」、「真心歌盈豊 当村氏子中 海舟勝安芳拝書」、また、余白に「千箇瀬学校」と紙に書きました。事前に勝 海舟から「この暑いさなかに木綿地に書くのは骨が折れる」と断られたため、紙に書いてもらうことになりました。紙の書を布地に染めた幟旗は、現在も毎年4月と9月の祭礼時に立てられ、「千箇瀬学校」の書は扁額へんがくとなり、二中の校長室に掲げられています。

    高橋泥舟は、成木3丁目の二本竹にほだけ地区にある山神社の幟旗に筆を揮いました。明治32年9月に数日間宿泊し、酒食でもてなされたお礼に幟旗と宿泊した家々のふすまなどに書を残しました。「敬者道之根 明治三十二年九月氏子中」、「信者徳之蒂泥舟真逸高精一書」の幟旗は、昭和25年ごろまで山神社の祭礼時に長蔵寺前に立てられました。

    山岡鉄舟は、河辺町3丁目にある春日神社と八雲神社の幟旗に筆を揮いました。明治13年9月、河辺を訪れ、「鎮守御祭禮 明治十三年九月 氏子中 山岡鐡舟」と揮毫きごうした幟旗は、現在も祭礼時に立てられています。

    問い合わせ郷土博物館

    ☎23・6859

    市文化財保護指導員
    三好ゆき江
    勝海舟の筆による幟旗「写真1」
    勝海舟の筆による千ヶ瀬神社の幟旗
    高橋泥舟の筆による幟旗「写真2」
    高橋泥舟の筆による二本竹地区にある山神社の幟旗
    弥生時代の有孔磨製石鏃「写真3」
    山岡鉄舟の筆による春日神社と八雲神社の幟旗
    「広報おうめより」
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