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  • 更新日 2018年2月15日
  • 青梅市「広報」より
    《第十四回》青梅市の文化遺産

    市内に眠るさまざまな古文書こぶんしょ
    掲載日 平成30年2月15日

    青梅市域は、山地から平野に開ける辺りに位置し、その始まりである武蔵野台地部分を除けば水利に恵まれ、古くから人々が生活を送ってきた場所です。

    そのため、市内には武蔵御嶽神社や塩船観音寺をはじめ、歴史ある神社仏閣が多く残っています。

    また、江戸時代以前から地域に根付き、村の名主なぬしを務めてきたような家も現在に伝えられており、その末裔まつえいの多くは、今でも市内で生活しています。

    そんなことから、古くからの記録も多く現存しており、「古文書」といわれる文書がそれです。

    その代表的なものが、「谷合氏見聞録」や「市川家日記」です。

    「谷合氏見聞録」は、二俣尾村名主であった谷合七兵衛吉治が元禄11(1698)年から書き始め、延享元(1744)年まで47年間2代(最後の方は子息太郎左衛門徳性の筆と思われます)にわたって記録された私日記です。

    「市川家日記」は、南小曽木村の市川家当主市川庄右衛門が安政6(1859)年正月元日から明治30(1897)年まで日常の出来事や世情などを記した私日記です。

    この2つの資料は現在、市の有形文化財に指定されていますが、日記を記した当の本人たちは備忘録のようなつもりで書いていたのではないかと思います。まさか、何百年も後の時代になって公にされるとは、思ってもいなかったのではないでしょうか。

    また、これらの日記から、現在まで語り継がれてきたことで事実かどうか不明だったことが、事実だと新たに証明されたこともありました。例えば、裏宿七兵衛が実在の人物であり、召し捕りの顛末てんまつ等が明らかになりました。

    昨年は、「本能寺の変」直後の明智光秀の手紙や坂本龍馬が暗殺される5日前の手紙が発見され、話題になりました。

    まだまだ青梅市域でも新たに古文書の発見があるかもしれません。ぜひあって欲しいものです。

    問い合わせ郷土博物館

    ☎23・6859

    市文化財保護指導員
    神森 正
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