掲載日 平成30年5月15日 | 「御岳 一 、お山御岳にたなびく雲は七代滝から立つ 二 、霧の 三 、月の御岳の夜は明けそめて日の出山からほのぼのと 四 、多摩の山川東京に近い川は呼ぶ呼ぶ山まねく 五 、まねく 御岳杣唄は、日本画家である川合 昭和19(1944)年、戦火を逃れるため、御岳に疎開した玉堂は、地元の人々から「玉堂さん」と気軽に声を掛けられる存在でした。昭和32(1957)年に亡くなるまで、この地で暮らし、奥多摩や青梅の自然をこよなく愛し、数々の名品を生み出しました。毎日仰ぎ見る御岳山や眼下の御岳渓谷は玉堂の心のよりどころでした。 昭和28(1953)年秋から翌年春にかけて玉堂は病気で、全快してもしばらくは絵筆を執ることを医師から止められていました。そのつれづれに、ふと口をついて出来た詩が御岳杣唄でした。御岳山や日の出山、多摩川の折々の情景を詩に作りました。 この詩に 御岳一丁目にある玉堂美術館の前には、御岳杣唄の一節と玉堂自筆の踊り子の絵を刻んだ歌碑が建てられています。 問い合わせ郷土博物館 ☎23・6859 |
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市文化財保護指導員 小島みどり | ||
▷御岳杣唄歌碑の拓本 「広報おうめより」 | ||