武蔵御嶽神社は、国宝の赤糸威鎧と、重要文化財の紫裾濃鎧を所蔵しています。
この二点の鎧は、八代将軍吉宗と十代将軍家治の時に江戸城への上覧が記録され、松平定信が刊行した古宝物図録集である「集古十種」にも記録されるなど、古くから広く知られていました。
明治30(1897)年に文化財保護制度の原型となる古社寺保存法が制定され、日本各地の社寺に保存されている文化財が調査されると、この二点の鎧を含むさまざまな宝物が旧国宝の指定を受けました。
しかし、各社寺に保存されていた宝物は傷みが激しく、岡倉天心らが明治31(1898)年に創設した日本美術院により、さまざまな国宝の修理が行われています。
武蔵御嶽神社で所蔵している二点の鎧は数百年の間、日の出祭に使用する以外、本殿内に大切に保管されていたと思われ、ほぼ完品で残されていましたが、この本殿は雨期には湿度が高くなり、保存に適した場所ではありませんでした。
そのため、明治36(1903)年6月〜11月にかけて、関 保之助・松原佐久監修のもと修復され、現在に至っています。修復の際、組紐などは新調され、不要になった古い組紐は、ひどく傷んだ状態で残されています。
明治39(1906)年には、収蔵品を納める宝庫が新築されます。そして、その設計には、当時建築の第一人者で、古社寺の保存を多く手がけた関野 貞があたりました。間口11,12m、奥行5,66m、木造二階建の単純な建物ですが、側面や底部全体がトタンで覆われ、高さ20〜30㎝の礎石に建物全体が乗っています。この構造がよいためか、空調などなくても、収蔵品が湿気などから守られ、装束や紙類を保管するには最適な場所となっています。
昭和51(1976)年に宝物殿が新設され、その役割を終えましたが、現在では神社備品の収蔵庫として重宝されていま
す。
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