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  • 更新日 2018年3月15日
  • 青梅市「広報」より
    《第十五回》青梅市の文化遺産

    武蔵御嶽神社むさしみたけじんじゃ 宝庫ほうこ
    掲載日 平成30年3月15日

    武蔵御嶽神社は、国宝の赤糸威鎧あかいとおどしのよろいと、重要文化財の紫裾濃鎧むらさきすそごのよろいを所蔵しています。

    この二点の鎧は、八代将軍吉宗と十代将軍家治いえはるの時に江戸城への上覧じょうらんが記録され、松平定信が刊行した古宝物図録集こほうもつずろくしゅうである「集古十種しゅうこじっしゅ」にも記録されるなど、古くから広く知られていました。

    明治30(1897)年に文化財保護制度の原型となる古社寺こしゃじ保存法が制定され、日本各地の社寺に保存されている文化財が調査されると、この二点の鎧を含むさまざまな宝物が旧国宝の指定を受けました。

    しかし、各社寺に保存されていた宝物は傷みが激しく、岡倉天心おかくらてんしんらが明治31(1898)年に創設した日本美術院により、さまざまな国宝の修理が行われています。

    武蔵御嶽神社で所蔵している二点の鎧は数百年の間、出祭でさいに使用する以外、本殿内に大切に保管されていたと思われ、ほぼ完品で残されていましたが、この本殿は雨期には湿度が高くなり、保存に適した場所ではありませんでした。

    そのため、明治36(1903)年6月〜11月にかけて、せき 保之助やすのすけ松原佐久まつばらすけひさ監修のもと修復され、現在に至っています。修復の際、組紐くみひもなどは新調され、不要になった古い組紐は、ひどく傷んだ状態で残されています。

    明治39(1906)年には、収蔵品を納める宝庫が新築されます。そして、その設計には、当時建築の第一人者で、古社寺の保存を多く手がけた関野せきの ただしがあたりました。間口まぐち11,12m、奥行5,66m、木造二階建の単純な建物ですが、側面や底部全体がトタンで覆われ、高さ20〜30㎝の礎石そせきに建物全体が乗っています。この構造がよいためか、空調などなくても、収蔵品が湿気などから守られ、装束や紙類を保管するには最適な場所となっています。

    昭和51(1976)年に宝物殿が新設され、その役割を終えましたが、現在では神社備品の収蔵庫として重宝されていま す。

    問い合わせ郷土博物館

    ☎23・6859

    市文化財保護指導員
    須﨑直洋
     △武蔵御嶽神社宝庫
    「広報おうめより」
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