七国峠(ナナクニトウゲ)の頂に、弥兵衛松と呼ばれる松がある。
今は、二代目になっているが、この峠を守ってくれた弥兵衛という人にちなんだものである。
むかし、七国峠は、青梅地方から上州(群馬県)まで続く上州道で、飯能への近道でもあった。 約一里の尾根道(オネミチ)は、かなり多くの人びとに利用されていた。
ある日、今井村に住む弥兵衛さんは、近くの山で下草を刈っていた。
「キャー、助けてえ!」
どこかで女の悲鳴。 弥兵衛さんは、鎌を持ったまま尾根道に出た。
見ると、追いはぎが、女の人におそいかかろうとしている。
「このやろう、何すんだ!」
弥兵衛さんは、鎌をふりあげて男にせまった。 男は、弥兵衛さんの剣幕(ケンマク)におそれをなして、何も盗らずに坂をかけくだって行った。
「この峠は、いい道だが、人家も近くにねえし、今日のように追いはぎが出たんじゃ、安心して通ることもできねえな。
こんなことがあってから、弥兵衛さんは、毎日のように近くで仕事をしながら、峠を見守るようになった。
いろいろな人が、峠を越えて行った。 親の病気を知らせに行く人、青梅縞(オウメジマ)を背負った商人(アキンド)、花嫁行列・・・・・。
弥兵衛さんは、いつのまにか峠の頂近くに仮小屋をつくって住むようになった。
峠道の道普請(ミチブシン)や草刈をしながら、安全を見守りつづけた。
「弥兵衛さん、これ食ってくれろ。 母ちゃんがまんじゅうつくっただ。」
峠を通る人びとは、弥兵衛さんに何かしら持ってきてくれた。 峠を安心して通れるようになった人びとのささやかな感謝のしるしだった。
やがて年をとると弥兵衛さんは、鉦(カネ)をたたいて、峠の安全を見守った。
弥兵衛さんが亡くなると、小屋のあったところに一本の松がはえてきて、弥兵衛さんの身がわりのように峠を見おろした。
いつしか人びとは、この松を弥兵衛松とよぶようになって、大切にしたということである。