今寺の交叉点(コウサテン)のわきに、榎の古木がある。
この榎には、そのころの八王子代官大久保石見守長安(オオクボイワミノカミナガヤス)のエピソードがある。
長安は、八王子代官として治水(チスイ)、土木、鉱山(コウザン)開発などをつぎつぎに行った。
甲州街道、青梅街道なども整備し、すぐれた行政手腕(シュワン)ももっていた。
長安は、あるとき、広い武蔵野を横ぎる青梅街道を見て思った。
「この街道は、カヤ原ばかりで、目標になるような高い木もない。 何か木を植えたいものだが、はて、何の木がよかろう。」
そこで、二代将軍秀忠公におうかがいに参上した。 長安はいった。
「一里ごとに塚を築き、郡や村の境には目じるしになるような木を植えたいのですが、松や杉ではほかの木とまぎらわしいのです。 いかがいたしましょうか。」
「なるほど。 それでは余の木(他の木)にいたせ。」
秀忠公は、そうおおせられた。
「はは、では、そのようにいたします。」
長安は、そう答えると御前(ゴゼン)を引きさがり、家臣(カシン)にむかっておもむろにいった。
「境の木には、榎を植えよ、とのおおせであった。 さっそく、そのようにいたせ。」
長安は、このときすこし耳が遠かったので「余の木」を榎とまちがえて植えさせたということである。
榎は、まっすぐ天をつくほど成長し、「ここが村境だぞ。」 と旅人に知らせた。
夏はすずしい日陰に、冬は北風を防いで一時の休息場所となったところだろう。
それから三百年あまり。 歴史の変遷(ヘンセン)を見守り続けて、今も榎は街道のわきに立っている。