Ome navi
Aoume
  • 更新日 2011年10月20日
  • 比丘尼塚びくにづか

    小曽木の常福寺(ジョウフクジ)の裏山に、古墳がある。  これは、比丘尼塚とよばれている。

    鎌倉時代の末ごろ、万貴姫(マキヒメ)という人が、侍女(ジジョ)五人をつれて、ここに落ちのびてきた。

    姫は、ここに草庵(ソウアン)をつくり尼(アマ)となって世をしのんで暮らしていた。

    世の中は、戦(イクサ)や飢饉(キキン)がつづき、人びとの暮らしは悲惨をきわめていた。  姫は、みずから托鉢(タクハツ)に出て、米や銭を集め、飢えに苦しむ人びとに物相飯(モッソウメシ)(分け与える飯)をつくって与えた。  (このあたりを木狐(モッソウイリ)という)

    やがて、姫が亡くなると、侍女たちは、山の上に姫を埋葬(マイソウ)し、托鉢の帰りに塩船観音境内の土を鉢いっぱいずつ持ち帰り、姫の墓の上に盛っていった。  それがしだいに塚となり、比丘尼塚とよばれるようになった。

    明治期に、小曽木村の人が、この塚を掘りおこしたところ、金銀づくりの小刀一つ、べっこうの櫛(クシ)、こうがい、ようらく、首かざりなどが出土した。

    現在、発掘場所には、卵塔(ラントウ)がたてられている。