Ome navi
Aoume
  • 更新日 2011年10月20日
  • 赤 岩あかいわ

    沢井三丁目青梅街道のわきに、小さな地蔵が祀られている。

    むかし、ここは仕置場であった。

    軽い罪人は、ここでお仕置されて放免(ホウメン)になったが、重罪人は川原で首を斬られた。

    ある飢饉(キキン)の年だった。 沢井に寝たきりの病人をかかえる百姓が住んでいた。 百姓は、病人を看病しながら、けんめいに働いたが、米はもちろん麦もわずかしかとれなかった。

    それでも役人は、年貢を納めろと矢のさいそく。 百姓と油は、しぼればしぼるだけとれる、という。 業をにやした役人は、その百姓を捕らえた。 同じように貧しく、年貢を納められない者が大勢いたので、その見せしめのために打首にしてしまおうという魂胆(コンタン)だった。

    「お役人さま、そりゃあんまりだ。 来年作物がとれたら。今年の分まで納めますから、どうかゆるしておくんなせえ。」

    その百姓も、ほかの人たちも必死でたのんだが、役人はきき入れなかった。

    やがて、その百姓は、川原にひきだされた。

    さっと白刃がひらめいたと見るまに、百姓の首は、打ちおとされていた。

    そして、ほとばしった百姓の血は、すぐそばの岩を真っ赤に染めた。

    お仕置きを見守っていた百姓たちは、声もなく、ただ心の中でその百姓に手を合わせるばかりだった。

    その後、岩にかかった百姓の血は、いくら洗っても落ちず、赤岩、といわれるようになったという。