風のつよい晩のことである。 二俣尾の海禅寺の天江東岳和尚(てんこうとうがくおしょう)は、 庫裡(くり)で般若湯(はんにゃとう)(酒のこと)をちびりちびり楽しんでいた。
すると、ひとりの男が訪ねてきた。 鼻が高く目のぎょろりとした大男だった。 大男は、あがりがまちにどっかと腰をおろしていった。
「和尚、和尚は、このあたりで随一の知恵者だと聞いた。 一手、問答を願いたいが、いかがじゃな。」
「よかろう。 ちょうどたいくつしておったところでな。」
「もし、わしが勝ったら、そのときは、和尚の命をいただきますが、よろしいかな?」
「ああ、いいとも。 そのかわり、わしが勝ったらなんとする。」
「一筆書いて進ぜよう。 わしの書は、世にも珍しいものじゃ。」
「ははう、それはたのしみ。」
「では、和尚は、出家の身でありながら、般若湯と称して酒など飲むとは、こはいかに?」
「されば、虫除けじゃ。 わが腹中には、けがらわしき虫が一匹住んでおる。 よって、般若湯で毎晩清めておるのじゃ。 アッハッハ・・・・・。」
「ううむ。 されば、外は風が強いが、風の正体とは、いかに?」
「われに同じ。 いっときは大樹をゆらせども、死してあとは無じゃ。」
「ううむ。」
「では、わしからひとつ。 この世にただひとつしかないもの、それはいかに。」
「ううむ、ううむ・・・・・。」
男は、どうしても答えることができなかった。
そして、和尚の前に両手をついてしまった。 (あなたには、わかるかな?)
「わしの負けだ。 では、筆と紙をお貸し願いたい。」
和尚は、筆と紙をさしだした。
男は「雪 覆 芦 花」(せっぷくろか)と大きく四文字を書くやいなや、パッと身をひるがえして出て行ってしまった。
和尚は、男の書いた文字を読みかえしてみた。 なんとも奇妙な書体で、人間が書いたものとは思えなっか。
その男は、天狗ではなっかたかといわれ、海禅寺には、その書が残されていた。