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  • 更新日 2011年10月20日
  • 一里塚の榎いちりづかのえのき

    ここは、 江戸城接見の間である。 上段にゆうぜんとかまえているのは、 2代将軍秀忠公である。

    その前にまかり出たのは、 年の頃60過ぎ、 眼光鋭い強面(こわおもて)の武士。 八王子代官、 大久保石見守長安であった。

    江戸時代初期のその頃は、 武田や北条の残党が、 無頼(ぶらい)の族(やから)となり物情騒然としていた。

    長安は、 それらの者を容赦なく取り締まり鬼のように恐れられていた。

    一方、 重要な街道の改修工事も行っていたが、 見わたすかぎりススキの原の武蔵野は、 目じるしになる山も大きな木もなかった。 旅人が歩き疲れて顔を上げても、 どのくらい来たのか見当もつかない。

    「うむ、 一里ごとの塚に何か目じるしになるような木を植えよう。 はて、 何の木がよかろう」 思いあぐねた長安は、 秀忠公におうかがいに上がったというわけだ。

    「一里塚に木を植えたいのですが、 松の木では、 道端の杉 桧とまぎらわしいのです。 いかがいたしましょうか?」

    「なるほど、 松はあまり適当ではないというのか。 それでは余の木 (他の木) を植えたらよかろう」 秀忠公は、 おうようにそうおおせられた。

    「はは! さようで。 では、 そのようにいたします」 長安は、 そう答えると御前を引き下がった。 そして、 家臣に向かっておもむろにいった。

    「一里塚には、 榎を植えよとの上様(うえさま)のお言葉であった。 さっそく、 そのようにいたせ」 長安は、 この時少し耳が遠かったので、 「余の木」 を榎とまちがえて、一里塚に植えさせたということである。 今寺の榎は、 この時植えられたものでしょうか。

    榎は、 まっすぐ天をつくほど成長し、 「ここに一里塚あるぞ」 と旅人に知らせ、 夏は日影に、 冬は北風を防いでくれたことだろう。

    大久保石見守長安は、 すぐれた政治手腕をもち、 治水・土木の技術者としても優秀であった。 堤防を築き、 水田を開発し、 橋をかけ、 甲州街道、 五日市街道、 青梅街道づくりにも貢献している。 だが、 あまりの才気と手腕が災してか、 将軍から疎まれ、 彼の死後、 一族はことごとく処刑されてしまったという。

    だが、 一里塚の榎は、 300年後の今も彼の存在を伝えている。

    一里塚の榎