むかし、村の若者たちは、よく力くらべをした。
二俣尾三丁目の武田金一(タケダカナイチ)さん宅の庭に、高さ八〇センチ、幅三〇センチほどの楕円形の石がある。
中央に「力石 五拾六貫余(ゴジュウロッカンアマリ)」、右に「寛政十二年(一八〇〇年)庚申四月、二俣尾」、 左に「田中亀松(タナカカメマツ) 十九歳」 と彫りつけてある。
この石は、もともと梅郷の井上さん宅(屋号 力石)にあったものである。 土地の若者たちは、この石を持ち上げては力くらべをしていたのであろう。
亀松は、この石を下駄ばきのままかつぎあげた。 そして、多摩川を渡り、一度も休まずに二俣尾までかついできたといわれている。
五拾六貫は、二百十キロである。