江戸時代中頃のことである。 青梅の森下に、 足立休哲という医者が住んでいた。
ある日、 大店(おおだな)の番頭が休哲先生を訪れた。 番頭は、 先生の前に服紗(ふくさ)に包んだ金子(きんす)を差し出しながらいった。
「先生、 このあいだは、 主人の命があぶないところを助けていただき、ありがとうございました。 つきましては、 お礼のしるしにこれをお納めください」
「ほう、 このあいだの礼とな」 先生は遠慮するようすもなく服紗をうけとると、 ハラリと開いた。 中には、 ピカピカの小判が5枚。
ほほう、 おたくのご主人の命は、 たったの5両というわけですか」
5両でも大金と思っていた番頭は、 びっくり。
「ハッハッハ・・・・・。 おたくほどの大店のご主人の命が、 たったの5両とはな」
「で、では、 いかほどなら・・・・・」
「そうですな。 100両、 といいたいところだが、 まあ半分におまけしておきましょうかな」 休哲先生、 すまして白いヒゲをしごいている。
「はは! さようで。 これはとんだごぶれいを!」 番頭は、 大あわてにあわてて帰っていった。
だが、 休哲先生は貧乏人からは一文もとらず、 50両は、 貧しい人びとに分け与えたという。 当時の医者は、 内科はもちろん、 あらゆる病人を手がけなければならなかったようだが、 休哲先生は、 それ以外に牛馬の病気の治療までしたという。 森下には、 休哲先生が作った馬用の薬を売る店もあったそうだ。
また、 休哲先生に親しかった人の話によると、 台所の床下にいつも瓶を置いていて、非常に大切にしていたらしい。 ある日、 こっそりのぞいてみると、 中にはびっしり青カビのはえたものが入っていたという。
休哲先生は、 特に腫れものや耳の病気にすぐれた治療をしていたようだ。 ペニシリンを発見したフレミングより200年も前に、 青カビの抗菌作用を知っていたのであろうか。
先生の治療のすばらしさの秘密は、このあたりにあったのかもしれない。
また、 それにも増して四国人らしい豪放磊落(ごうほうらいらく)な人柄は、 貧しい人びとにどれほどの勇気と希望を与えてくれたことだろう。
休哲先生は、 当時としては驚異的な96歳の長寿で、 宝暦3(1753)年10月25日に没している。
今、 森下の北側、 青梅線を越えたところの山すそに 「休哲様」 という小祠(こぼこら)となって親しまれている。