Ome navi
Aoume
  • 更新日 2011年10月20日
  • 休哲様きゅうてつさま

    江戸時代中頃のことである。 青梅の森下に、 足立休哲という医者が住んでいた。

    ある日、 大店(おおだな)の番頭が休哲先生を訪れた。 番頭は、 先生の前に服紗(ふくさ)に包んだ金子(きんす)を差し出しながらいった。

    「先生、 このあいだは、 主人の命があぶないところを助けていただき、ありがとうございました。 つきましては、 お礼のしるしにこれをお納めください」

    「ほう、 このあいだの礼とな」 先生は遠慮するようすもなく服紗をうけとると、 ハラリと開いた。 中には、 ピカピカの小判が5枚。

    ほほう、 おたくのご主人の命は、 たったの5両というわけですか」

    5両でも大金と思っていた番頭は、 びっくり。

    「ハッハッハ・・・・・。 おたくほどの大店のご主人の命が、 たったの5両とはな」

    「で、では、 いかほどなら・・・・・」

    「そうですな。 100両、 といいたいところだが、 まあ半分におまけしておきましょうかな」 休哲先生、 すまして白いヒゲをしごいている。

    「はは! さようで。 これはとんだごぶれいを!」 番頭は、 大あわてにあわてて帰っていった。

    だが、 休哲先生は貧乏人からは一文もとらず、 50両は、 貧しい人びとに分け与えたという。 当時の医者は、 内科はもちろん、 あらゆる病人を手がけなければならなかったようだが、 休哲先生は、 それ以外に牛馬の病気の治療までしたという。 森下には、 休哲先生が作った馬用の薬を売る店もあったそうだ。

    また、 休哲先生に親しかった人の話によると、 台所の床下にいつも瓶を置いていて、非常に大切にしていたらしい。 ある日、 こっそりのぞいてみると、 中にはびっしり青カビのはえたものが入っていたという。

    休哲先生は、 特に腫れものや耳の病気にすぐれた治療をしていたようだ。 ペニシリンを発見したフレミングより200年も前に、 青カビの抗菌作用を知っていたのであろうか。

    先生の治療のすばらしさの秘密は、このあたりにあったのかもしれない。

    また、 それにも増して四国人らしい豪放磊落(ごうほうらいらく)な人柄は、 貧しい人びとにどれほどの勇気と希望を与えてくれたことだろう。

    休哲先生は、 当時としては驚異的な96歳の長寿で、 宝暦3(1753)年10月25日に没している。

    今、 森下の北側、 青梅線を越えたところの山すそに 「休哲様」 という小祠(こぼこら)となって親しまれている。

    休哲様