源平のころ、上沢井の畑の中に二間四方ほどの池があった。
ある日、一頭の馬が、池のふちで遊んでいた。
「ヒヒヒーン!」
とつぜん、馬は一声大きくいなないた。 そして、池の中にはえていた一株のカヤをザクリとかみきって走りだした。
馬は、中風呂の大岩に一気にとびおり、岩にひずめの跡を二つ残して、なおもすごい速さで駆けて行く。
「おおい、その馬つかまえてくれえ!」
村人は、大騒ぎで追いかけた。
馬は、ザンブと川にとびこみ、向こう岸にわたってなおも駆けて行く。 すごい速さだった。
「馬をつかまえろ!」
口から口へ、これもすごい速さで伝わっていった。
川下の村人たちも、色めきたった。
絹糸をつくっていた村人が、名案を思いついた。
男たちは、馬の駆けてくる街道にピンと絹糸を張って待ちかまえた。
パカッ、パカッ、パカッ、・・・・・。
やがて馬が走ってきた。
「ヒヒヒーン!」
馬は、絹糸が見に入らず通りぬけようとしたが、強い糸はさすがの馬も通さなかった。
そして、やっと馬を捕らえることができた。
この馬の話は、遠く鎌倉まで伝わった。 時の将軍頼朝は、良い馬を探していたので、この馬を差しだすことになった。
この馬が、宇治川の先陣あらそいで有名な、名馬イケヅキであったといわれる。 イケヅキがかみきったカヤは、その後穂が出ず、今も残る池の中に「穂なしカヤ」として存在している。
ひづめの跡がついた大岩は、駒の石とよばれ一部が残っている。
また、絹糸を張って馬を捕らえたところは、駒絹(こまぎぬ)とよばれ、その後、駒木野になったといわれている。