Ome navi
Aoume
  • 更新日 2011年10月20日
  • 穂なしカヤと名馬イケヅキほなしかやとめいばいけづち

    源平のころ、上沢井の畑の中に二間四方ほどの池があった。

    ある日、一頭の馬が、池のふちで遊んでいた。

    「ヒヒヒーン!」

    とつぜん、馬は一声大きくいなないた。 そして、池の中にはえていた一株のカヤをザクリとかみきって走りだした。

    馬は、中風呂の大岩に一気にとびおり、岩にひずめの跡を二つ残して、なおもすごい速さで駆けて行く。

    「おおい、その馬つかまえてくれえ!」

    村人は、大騒ぎで追いかけた。

    馬は、ザンブと川にとびこみ、向こう岸にわたってなおも駆けて行く。 すごい速さだった。

    「馬をつかまえろ!」

    口から口へ、これもすごい速さで伝わっていった。

    川下の村人たちも、色めきたった。

    絹糸をつくっていた村人が、名案を思いついた。

    男たちは、馬の駆けてくる街道にピンと絹糸を張って待ちかまえた。

    パカッ、パカッ、パカッ、・・・・・。

    やがて馬が走ってきた。

    「ヒヒヒーン!」

    馬は、絹糸が見に入らず通りぬけようとしたが、強い糸はさすがの馬も通さなかった。

    そして、やっと馬を捕らえることができた。

    この馬の話は、遠く鎌倉まで伝わった。 時の将軍頼朝は、良い馬を探していたので、この馬を差しだすことになった。

    この馬が、宇治川の先陣あらそいで有名な、名馬イケヅキであったといわれる。 イケヅキがかみきったカヤは、その後穂が出ず、今も残る池の中に「穂なしカヤ」として存在している。

    ひづめの跡がついた大岩は、駒の石とよばれ一部が残っている。

    また、絹糸を張って馬を捕らえたところは、駒絹(こまぎぬ)とよばれ、その後、駒木野になったといわれている。