約六五〇年ほど前のことである。
楠 正成(クスノキマサシゲ)が湊川(ミナトガワ)のいくさで戦死したころ、青渭(アオイ)神社(一時は惣岳大明神とよばれた)に仕えるイチコという美しい巫女(ミコ)がいた。
イチコは、美しいばかりでなく気立てもやさしくだれからも慕(シタ)われた。 氏子の若い衆は、大勢イチコに思いを寄せた。
白い小袖に赤いはかまをつけたイチコが、祭壇(サイダン)の前にあらわれると、そこだけ ぽっ と明るくなるようだった。
ところがイチコは、だれにも心を動かさなかった。 そのうち、ふとした病がもとで、イチコは亡くなってしまった。
氏子たちは、きっとイチコは惣岳様の化身(ケシン)だったにちがいない、といって惣岳山頂に手厚く葬(ホウム)った。
ふしぎなことに、その後この神社に仕える巫女は、みな美しく、しかもイチコと同じように若く死んでいった。
巫女たちの墓には、松が植えられ、板碑(イタピ)まで建てられていて、氏子たちの巫女に寄せる思いの深さがしのばれる。
板碑は、三基もあり建武(ケンム)(一三三四~一三三六年)の年号が刻まれている。