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Aoume
  • 更新日 2011年10月20日
  • 天寧寺の由来てんえいじのゆらい

    天寧寺は、甲斐(カイ)の国の一華文英(イッカブンエイ)という人が開山したといわれている。

    文英の母は、日ごろから信仰心があつく、よい子を授(サズ)かるようにと金峯山(キンプサン)を一心に念じていた。

    ある夜、夢の中に金峯山の竜神(リュウジン)があらわれた。  竜は、黒雲とともに天にあらわれ、すさまじい勢いで進んできたかと思うと、しだいに小さくなって懐(フトコロ)に入ってしまった。

    そして、ひとりの男の子が生まれた。 男の子の脇(ワキ)の下には、三枚の鱗(ウロコ)があり、ただ者ではないかと思われた。

    男の子は、幼いときに仏門に入り、たちまちすばらしい才能を発揮した。

    後に武蔵国へいき、天寧寺をたて、神岳通竜禅師(シンガクツウリュウゼンジ)の称号をうけた。

    禅師は、永承(エイショウ)六年(一五〇九)八五歳でこの世を去るとき一片の鱗をのこして、うしろにある池に姿を消したという。  禅師は、竜神の化身であったといわれている。


    七不思議の寺ふしぎなてら

    天寧寺には、七不思議の話が伝わっている。

    ・・・・・・見送り橋・・・・・・

    山門お前に小さな石橋がある。  ほんの数歩で渡りきってしまえる橋だが、この橋を渡るとき、心にやましいものを持っている人は、かならずうしろをふりかえる、といわれている。

    ・・・・・・逆さ川・・・・・・

    この見送り橋の下を、やはり小さな川が流れている。  青梅地方の川は、たいてい東の太平洋に向かって流れている。

    ところが、ふしぎなことに、この川は西に向かって流れているのである。

    ・・・・・・枕がえしの山門・・・・・・

    みごとな仁王(ニオウ)さまと邪鬼(ジャキ)、すばらしい山門の上には、小部屋がつくられている。  当直(トウチョク)の僧が寝起きしたり修行(シュギョウ)したりするところである。

    寝るとき、僧たちは南を枕にして眠る。  ところが朝起きてみると、いつのまにか北枕になっているのである。

    住職の話によると、北側に本堂があり仏が祭ってあるので、仏に足を向けるな、ということだそうである。

    ・・・・・・ぬれてぬぐい・・・・・・

    むかし、修行する僧たちは、一週間に一度風呂に入ればいいほうだった。  風呂桶に水を汲み入れるものも、薪でわかすものもたいへんな苦労であった。  それだけに風呂は、楽しみでもあり心安まるときであった。

    だが風呂からあがって、てぬぐいを干しておいても、ふしぎなことにいつまでも乾かず、ぬれたままだったそうである。

    ・・・・・・開かずの便所・・・・・・

    庫裡の前に、外便所がある。  その一つは、開かずの便所といわれ、いまでも便所のあったところに小さな仏像が祀(マツ)られ、花や水が供えられている。

    むかし、ひとりの若い僧が、修行のために問答(モンドウ)をさせられていた。  僧は、その問答の答えが、どうしても思いつかなかった。  いくら考えてもわからない。  答えがわからなければ、寺を追いだされてしまうかもしれない。

    困りきった僧は、便所に入って考えた。  それでもわからず、ついに便所の中で首をくくってしまった。

    そこで、便所の扉をくぎつけにして開かないようにしてしまった、ということである。

    ・・・・・・血ぞめ井戸・・・・・・

    本堂の前の左側に、大石をくりぬいてつくった井戸がある。  今は、重い鉄板でふたがしてあり、のぞきこめない。

    むかし、どろぼうが寺へ入ろうとした。  どろぼうは、盗みをする前に、のどをうるおそうと、井戸をのぞきこんだ。  そのとたん、

    「ぎゃあ!」

    と叫(サケ)んでしりもちをついてしまった。

    なんと、井戸の中から、血みどろの顔が、どろぼうを見上げていたのである。

    じつは、その血みどろの顔は、恐(オソ)ろしい血みどろの顔に見えるといわれている。  まっすぐな心を持った人がのぞいても、ふつうの自分の顔がうつるだけだということである。

    ・・・・・・夜なき鐘・・・・・・

    本堂のうらに池がある。  以前は、現在の三倍もある大池だったそうであるが、ときおり、この池から、夜中に鐘の音が聞こえてくる。

    夜なき鐘、といわれている。

    むかし、このあたりも戦にまきこまれた。

    山門わきのつり鐘堂には、みごとなつり鐘がさがっていた。  戦をしていた大将(タイショウ)は、このつり鐘を鉄砲の玉にするから、出せ、といってきた。  村人は、戦になって人が死ぬのも寺や家いえが焼かれるのもいやだった。

    ある夜、村人たちは、つり鐘をおろすと、密かにうらの池にしずめてしまった。

    「どうか、戦のない世の中になりますように。」

    という願いをこめて。

    それからというも